誹謗中傷を受けたら ~不幸の伝染力

誹謗中傷を受けたら ~不幸の伝染力
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「暴走愚連隊、参上!」

 

「西中3年A組の〇子は、淫乱のビッチ」

 

「〇〇町の××はクズ野郎!〇んじまえ!」

 

 

その昔、男子トイレの個室に入ると、沢山のいたずら書きがありました。

そして、中には詳細な個人情報などを書かれていることもありました。

それがやがてニフティなどのパソコン通信やBBS(電子掲示板)へと変化し、2ちゃんねるからツイッターなどのSNSへと移り変わってきました。

そして、現代ではそれが度々社会問題となっています。

 

では、ここから先は、以下について知りたい方のみ読み進めて頂ければと思います。

●誹謗中傷や炎上は、なぜ起こるのか。

●批判や炎上への有効な対策。

●良心の痛みがない精神障害について。

●批判に打ち勝つ自尊心の築き方。

●不幸の連鎖を断ち切る方法。

 

匿名に隠れた悪意

 



 

これも昔、知人がBBSで、「遠隔催眠」の被験者を集ったのですが、6~7割は好意的な反応であったのに対し、残りは否定的でネガティブなものでした。

きっかけは、何の悪意も無い無償での社会実験です。こちらが節度ある態度に徹していても、一部の言葉の(文字の)攻撃は収まることなく続きました。

「下らない。怪しい。偽善者」などは可愛いもので、中には罵詈雑言と言えるレベルの書き込みもありました。

 

いつの時代も、「荒らし」とか「炎上」という現象はあり、反応すればするほど逆に過激になることもあります。

そこには、「匿名性」があり、「言論の自由」があるからでしょう。

あなたの心からの善意や誠意であっても、悪意や欺瞞だと非難されることは十分にあり得ますし、逆にあなたが誰かの言動に嫌悪感を抱き苛立つことはあると思います。

そもそも、何事にも意見が分かれますし、何かを否定する事も反対することも個人の自由です。

健全な社会には、「誰でもが、自分の意見や主張を自由に発信しても良い」ことが守られており、「その権利が保障されている事」が重視されます。

一つの価値観や思想に民衆が偏ると、戦前の日本の治安維持法や特高による言論統制を再現させかねませんし、ナチスのような独裁的ファシズムを想起させます。

ただし、それは表面的なもので、組織や地域社会の中では柔軟に調和出来ないと生き辛くなるという同調圧力があります。

 

誹謗中傷に関わる法律

 



 

ある調査では、ネットのコメント欄などに何らかの書き込みをしたことがある人の割合は、全体の約1割程度であり、男性の比率が女性の2倍です。

書き込みをする理由として、「共感や応援」「訂正や反論・補足」などで7割が占められますが、「怒りや不満」などのネガティブな理由も7%程度存在していました。

この中に、恐らく「炎上」や「誹謗中傷」なども含まれると思われます。

 

芸能人や著名人が、誹謗中傷によって自死したというニュースがあったりと、ネットの書き込みへのモラルが問われています。

誰もが、自分が知っていることや正しいと思っていることがあり、人の過ちや不正を許し難いと感じる時があるでしょう。

声を上げる事で、社会に一石を投じるのも意味があります。

ただし、それによって誰かが実害を受けたとなれば話は別です。

注目される立場にあると、否定的なメッセージを受ける事も一種の「有名税」であると言われたりもしますが、それがある一線を越えれば犯罪となります。

 
【名誉毀損罪】  個人が特定出来、公然と事実を摘示して人の名誉を毀損する行為。

【侮辱罪】  大勢に知られるように、相手を悪口などで侮辱したり罵ったり、ネット上に書き込みを行ったりした場合に該当。

【脅迫罪】  「ぶん殴ってやる」などの相手への危害が表されている。

【偽計業務妨害罪】  嘘や偽情報を流して相手の生活を脅かす行為。

【器物損壊罪】  他人の物や公共物に落書きをする行為。
 

誹謗中傷する側の背景

 



 

そもそも、自分に直接的な影響がないものに対して「黙っていられない」のはなぜでしょうか。

誰かを晒しものにして糾弾するといった行為に至るには、何らかの条件が揃っている必要があります。

まず、強くネガティブな意見を述べるという行為には、相手を許せないという怒りがあります。

怒りは二次感情といわれますが、実害の無い相手への執拗な攻撃には嫉妬や承認欲求も見え隠れします。

 

「権利擁護」 =何かに対して意見出来る権利を実行したい。
「支配」 =意見することで、相手を動かしたい。
「主導権争い」 =自分の方が勝っていると主張したい。
「正義感の発揮」 =過ちを指摘し、正したい。

 

様々な欲求があるからこそ、言葉や行動となって表出します。

人に行動を促すには、それだけの無視できない刺激があったという証拠になります。

「遠隔で催眠療法を受けてみませんか?」という知人による書き込みは、瞬く間にアンチを刺激しました。

BBSに書かれた批判コメントの、そのあまりの巧みさには驚きを感じました。いかにして相手を侮辱し、愚弄し、恫喝するかのオンパレードだったのです。

それはまさに、文字の暴力とも言うべき過激さでした。

 

「よくもここまで、見ず知らずの他人を攻撃できるものだ…。」

「一体、どんな人たちの為せる技だろうか。」

 

 

言われた当人は、「暇を持て余しているフリーターか中高生だろう」と言っていましたが、だとすればかなりの語彙力とセンスを持っています。

あのような、何事かを為せるであろうという才能を、わざわざ他人を糾弾するために使うしかないというのも切ないものです。

 

関心を向けて欲しい。
賛同されたい。
優位性を示したい。
「いいね!」がもっと欲しい!

もったいなくもありますが、何に情熱を傾けるかはその人次第です。

 

そして、挑発に乗って議論したり論破するのも、関りを持った時点で結局は相手を構っていることに他なりません。

攻撃の対象者自身が耐え兼ねて書き込むことを、昔は「釣れた」と言っていたそうですが、それは彼らにとっての勲章なのです。

文章は、誰かの目に留まる事とリアクションが目的である以上、一度反応してしまうと雪だるま式に激しくなっていくでしょう。

ですから、これらへの最も有効な対応は、「無反応・無関心に徹すること」が第一です。

 

人間の尊厳が最も脅かされるのは、非難ではなく「無関心」だと言われます。

まるで、道端の石ころのように誰からも見向きもされないことは、存在自体を否定されるかのように耐え難い苦しみとなります。

虐待よりもネグレクトの方が深刻だという考えがありますが、それも一理あります。

したがって、そのような状況に苦しんだ人は、人の気を引くことに必死になるのも無理のないことです。

 
なぜ、そこまでしてディスるのか…?
 

日常の中であまり発言権の無い人々が、発言できる場所はどこかを考えれば、もはや必然ではないでしょうか。

 

日頃から苦しみを抱えて生きていれば、適当な対象を見つけ出して、思う存分鬱積したストレスをぶつけたいという心境も理解できなくもありません。

海外では、政治不信から暴徒化する民衆が町を破壊したり、凶悪犯に対して集団で暴行を加えたりというニュースが挙がりますが、それに似たものがあります。

実生活では忌み嫌われ、辛く惨めな立場にある人が、たまたま目にした記事や誰かに嚙みつくことは、憂さ晴らしを越えた“悲痛な叫び”にも思えます。

 

私も、以前誹謗中傷に会いましたが、どうやら同業者によるものでした。

どうしても顧客の取り合いになるのが業界の側面ですが、きっと「潰すに値する者=同業他社」として認識されたのだと思われます。

当然、無反応に徹したのですが、その後どうやら廃業されましたので、物事の摂理を感じずにはいられませんでした。

 

人の痛みがわからない人たち

 



 

以前、凶悪事件を起こした若者が、取り巻きのマスコミに向かって満面の笑みを見せていました。

 
「やったー!注目されてる!」  『誰か、俺を見て』
「俺は有名になったぞ!」  『どうか、俺に関心を向けて』
 

被害者の痛みを蹂躙するような行為ですが、見方を変えれば「人としての情けを知らない」という痛ましさを感じさせます。

ドラッグによる錯乱や虚勢を張ったという可能性はありますが、一方でパーソナリティ障害を始めとする精神障害との関連も考慮すべきです。

 

「人様に危害を加えることは法で処罰される犯罪であり、拘束されて自由を奪われるだけでなく、親類縁者にも迷惑を掛けてしまう。」

これを社会のルールだと認識できない人や、抵抗感を持つ人たちがいます。

反社会性パーソナリティ障害の中には、人を傷付けても、たとえ目の前でもがき苦しんでいたとしても何も感じられないというものがあります。

冷血とか、サイコパスと言われても自覚が無く、良心の呵責も無いので反省もしません。

ですから、彼らとの情緒的な共感や理解し合えるだろうという試みは徒労に終わるのです。

人口の0.2~3%程度が存在し、犯罪者に限れば過半数が相当するとも言われています。

 

また、こういった方々の中には、決断力があって大胆な行動力に富み、社会的な成功を得る人がいます。

状況に応じてどうすることが求められているのかを学習し、ルールに準じた行動が出来るので、秩序ある人物として評価されたりもします。

経営者の一定数には、家族や社員の苦しみに冷淡だったり、人としての温かみに欠け、何事も数字や利益を追求する傾向があるというのも頷けます。

 
「私は才覚に富む、大事業を成し遂げるリーダーである。」
 

そのような高いプライドによって自らの存在意義を確信しますが、周りや従業員、ユーザーへの配慮には欠いてしまうのです。

ブラック企業やパワハラがニュースとして騒がれ、経営者や役員の度々の不祥事にもそれが現れていますが、そのような素養がなければ過酷なビジネスで勝ち抜けないのかも知れません。

 

自分の価値は、自分で決めよう

 



 

今の時代、表現することのハードルはとても下がっています。

YouTube、SNSなど、誰でも放送局が持て、メディアを持てます。

そして、それが仕事になっている人も現れ始めました。

 

やりたいことや表現したいことを、思う存分やり遂げることはとても尊いと感じますし、たとえ賛同者や理解者が少なくとも信念を貫くことは立派だと思います。

しかしながら、注目される活動には批判や非難がつきものです。

 

謂れの無い誹謗中傷は無視しても然りですし、そのような一部の批判を恐れて活動を抑制するのはもったいないことです。

前提として、自分に過失や落ち度が無い場合、他人から何かを言われてもそれを真に受ける必要はありません。

「自分の価値」とは自らが決めるべきものであり、他人にとやかく言われる筋合いはありません。

仮に世間の大半があなたの人格や活動を否定したとしても、そのセオリーは揺るぎません。

 

批判や逆境にこそ成功のカギがあると言いますが、外野で騒ぎ立てるのは易しく、実際に考えて行動に移すのは難しいもの。

そして、第一歩を踏み出せる人が世の中を変えます。

 
「多くの人に理解されないことは残念だが、それでも胸を張って信じる道を行こう。」
 

人は人。自分は自分。

そして、非難してくる人のためにさえこの道を行く。

その勇気こそ誇るべきだと思います。

 

欺けない、最も嫌われてはいけない相手とは

 



 

しかし、どんなに無視しようとも無関心を装おうとも、絶対に敵対してはいけない相手が一人だけいるのです。

あなたが何を考えて、どうしたかを全て見ており、絶対に欺くことは出来ません。

 

その答えは、あなた自身です。

 

いままで、自分自身から見捨てられたようにして自滅した人を沢山見てきました。

 

「自分が大嫌いです。」

「私には価値がありません…。」

 

そして、それを示すかのようにセルフネグレクトや不毛な行為に明け暮れます。

自傷行為、不衛生で不健康な環境、浪費、拷問のような性交やDV、およそ幸福の対極にあるような無意味な享楽。また、無意識的に呪いのような自虐の言葉を延々と浴びせます。

あるいは、拒食や栄養のコントロールで理想的な容姿に執着し、どことなく人工的な美意識に傾倒したりと、とにかく自分を変える事に没頭します。

特に若者では、素の自分に嫌悪しているので、整形やメイク、染髪、刺青やピアスなどでの変身願望や改造癖があるのも特徴です。

 

要因として、親や保護者によってネガティブなメッセージをインプットされており、貧困や成育歴の悪影響によって拘束されていることが挙げられます。

 
毒親

「お前は、人間のクズだ。」

「生まれてこなければよかったのに。」

「とっとと消えちまえ!」

 

繰り返された人格と存在の否定という洗脳は、一生を通じて影響を及ぼします。

 

やがて、無意識的な敵意は、自分をいたぶるだけでは飽き足らず、周囲や無関係の相手にさえ襲い掛かって行きます。

それが、ネットやSNSへの書き込みとなっているのでしょう。

不幸とは、伝染力が強いのです。

 

自分を認められず許せない人は、そのまま、決して人を認めず許しません。

自分を大切に出来ない人は、他人を大切に出来ませんし、大切にされることもありません。

人は、自分にできる事しか、他人にすることは出来ないのです。

 

全ては“鏡”

他人を通じて、自分自身が鏡となって返ってきます

 

そして、その全てを冷めた目で見つめる「もう一人の自分」がいて、ごまかしも匿名性も一切通用しません。

脳は、自他の区別が出来ず一人称で捉えますので、相手を罵っているつもりでも自分自身の事だと認識します。

ですから、誰かの陰口や悪口を言って憂さ晴らしをしているつもりでも、その言葉は全て「自分の事」だと思ってしまうのです。

 
もう一人の自分

「こいつは、幸せになることに絶望した愚か者の成れの果てだ。」

「自らの惨めさを恨み、人知れず他人の罵詈雑言を書き連ねて執拗に攻撃する卑怯者だ。」

「人の苦しみや死さえも無関心でいる、腐り切ったクズだ…。」

「他人の不幸を仕事とするしかない、炎上商法のプロだ……(消滅すべき者だ)。」

 

「人を呪わば穴二つ」は、意外にも科学的根拠があります。

今日一日を振り返って、胸を張れますか?

それとも、我ながら卑劣で情けないと恥じましたか?

 

より良い人生のためにも、自分自身から信頼される行動を心がける必要があると思います。

 

善意と幸福の法則

 



 

健康で豊かで良い人間関係に恵まれていれば、人を悪く言う気にもならず、多少の迷惑事にも寛容になれるでしょう。

ゆとりがあって秩序的な人々には、いざこざや争いは縁遠いものです。

 

陰口とは逆に、陰ながら人を思いやり、親切な行動をする人がいます。

 

早朝に、散歩をしながら街のゴミ拾いをする人。

山深い神社で、黙々と掃除する青年。

コンビニで、消費税が足りなかった子供に小銭を渡すサラリーマン。

終戦の日に、慰霊碑に手を合わせる高校生。

 

どれも、細やかながらも他人を思いやる、善意の行動だと思います。

その思考から、彼らには「自尊心」が育まれます。

言い換えれば、自己肯定感、自己効力感、セルフエスティームの獲得です。

人に感謝されるような行動をとると、セロトニンという脳内物質が出る事が知られていますが、これは免疫力を高め、心の安定や幸福感を得る効果が明らかになっています。

幸福もまた、伝染します。

 

見返りを求めず誰かのために行動しているのを、自分の心はしっかりと見つめています。

時には過ちをして多くの批判を受けたとしても、何を言われても、「この人物は立派な人格を持っている」と、認識するでしょう。

たとえ世界中が敵でも、自分だけは自分を信頼し、敬意を持ってくれるのです。

これに勝る心の安定要素はありません。

 

情けとは、あくまでも自己の尊厳とするものであって、人からの見返りを求めるものではないという諺、「情けは人のためならず」というのも科学的根拠があるのです。

 

加害者を未然に救え

 



 

誹謗中傷による「被害者を救済すること」が大切である事は言うまでもありませんが、そもそも、加害者の背景を理解しないと被害者を減らすことは出来ません。

誰も、望んで荒んだ書き込みをしているのでは無く、そうせざるを得ない状況と心境なのでしょう。

憂さ晴らしとは、不愉快で辛い思いを紛らわすための行為なのです。

 

では、自分の状況を確認してみてください。

 
一週間を振り返って、嫌な事や不平不満があり、怒りやストレスが多かったか。

誰かを罵ったり、非難したくなったか。

人の行動や、「悪」と見なされた行為を糾弾したくなったか。

 

身近な人が、なぜ自分を避け、嫌うのか。

友人だった人が、なぜ遠ざかっていくのか。

怒りや妬み、不安が強く、なぜ他人を信用できないのか。
 

それを感じるのなら、あなたが最も嫌煙する「他人からの援助」が必要だと思います。

 

 

第一歩を進むなら、心理相談へ。

 

 

【誹謗中傷の相談窓口】

法務省 人権110番
https://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken20.html

こどもの人権110番
https://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken112.html

女性の人権ホットライン
https://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken108.html

誹謗中傷ホットライン
ネットの誹謗中傷


 

 

 

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