感情のコントロール法 怒り編

 

イライラ!

ムカつく!

キレた!

 

世の中には、様々な怒りの感情が渦巻いています。

そして、それを見聞きするのは当事者ではなくても迷惑なものです。

しかし、人間にとってこの原初的な感情をコントロールするのは簡単ではありません。

そこで、とかく忌み嫌われがちな怒りについて考察していきたいと思います。

 

怒りは二次的な感情だと言われるのを聞いたことがないでしょうか。

悲しさや不安、恐怖という一次感情の上に怒りという二次的な感情が表出するということです。

カバンがぶつかったのに相手が謝らない → 一次感情「痛い!ひどい…。こんなことされて辛い。弱いと思われてるのかも」 → 二次感情「おい!謝れよ!」

部下が挨拶をしない → 一次「悲しい。見下された。人望が無いと思われてるのかも」 → 二次「挨拶ぐらいきちんとしろ!」

このような感じです。

つまり、自分が大切にされていないことに傷付いているのです。

これらが連鎖的に起こって怒りになるのですが、ほとんど一瞬の出来事なので意識化することはできません。

 

そんな怒りの目的は四つ。

「権利擁護」 自分の権利、立場を護りたい。
「支配」 相手を思いどおりに動かしたい。
「主導権争い」 相手よりも優位に立ちたい。
「正義感の発揮」 正しい(と自分が思っている)ことを教えたい。

アドラーによれば、感情はライフスタイル(性格=価値観)による「排泄物」であり、その排泄物をコントロールしても結果は何も変わらないと言います。つまり、生きている以上排泄することは当たり前であって、それを操作しようとすることが不自然であり、むしろライフスタイル自体を変えればおのずと感情は変わってくると説明しています。

第一に自覚です。

「自分は、受けた心の痛みを怒りで対処しようとしている」

「期待が裏切られた悲しさを怒りで表現している」

つまり、「こんなに悲しいのに、苦しいのに、不安なのに。分かってくれる人も大切にしてくれる人もいない!」

「なぜ!どうして!チキショー!」=怒り

このように根源的な理由が分かれば、意識化するものが変わります。

更に言うと、劣等感や完璧主義の自覚です。

人よりも劣っているというコンプレックスがあると、「馬鹿にするな!」とか、「無視するな!」という相手への要求が強くなり、完璧であることで自己防御していると、「ちゃんとしろ!」「期待に応えろ!」と、相手の能力やミスに対して寛容になれません。

本当に自分に自信があって心に余裕があれば、カバンがぶつかっても、「重そうで大変なので手伝ってあげよう」とか、挨拶されなくても、「気分でも悪いのかもしれない。詳しく話を聞こう」と思うかもしれません。

人はそういう人を「大人だ」と言って尊敬します。

短気は損気とは、良く言ったものです。

 

怒るのは、確かに小さな子供にだって出来ます。

「やだーー!ダメーー!きらーーい!」

我慢できずに一時感情を出すのは、要するに幼児性です。

「大切にして」という甘えであり、「そうしてくれるはず」という期待なのです。

更に言うなら、幼児性とは「思い上がり」です。

人があなたをどう思うかは自由なので、残念ながらバカにされることも嫌われることもあります。しかし、本当の価値とは無関係です。

どんなに良いことをしても正しいことをしても、「は?何それ?興味ない」「あなたなんてどうでもいい」などはつきものですし、批判や否定も必ずあります。

理解や評価、感謝などを期待すればするほと傷つくのは自分なので、そういう見返りは考えないのが身の為です。

つまり、何を言われても「まぁ、そんなものだろう」のような受け止め方こそが謙虚な身の丈の感覚だと言えます。

また、「許せない!」の時点で、逆に相手の言い分を受け止め、同じ目の高さで感じていることになります。

例えば、街で子供が歩道の白線などを綱渡りのように歩いているのを見かけますが、彼らがその遊びに夢中になって、道を塞いでいる大人に対して「どいて!ジャマ!」と言ってきたとします。

それに目くじらを立てているのは、子供と同じ視点になってしまっているのです。

子供相手に大人げないという所でしょうか。

「何て口の利き方なの!親の躾がなってないわ!」と言うのか、「ゴメンね。頑張って」と言うのかは、こちらの認識次第です。

すぐに切れる人というのは、幼稚っぽくて甘ったれ、そのくせプライドばかりが高い。そして、それこそが人間の飾らない姿でもあります。

ポイントは、その出来事を自分自身がどのように認識するかにかかっているという事です。

許せる範疇」をどこまで譲れるかは自分次第で、それが大きいほど心が広く成熟した大人である証拠なのです。

 

最近最も人が怒っているのを見たのは、あるレストランでした。

体格の良い強面の男性客が店員に怒鳴っていました。

「てめー!何なんだよこりゃ~!おい!どういうことなんだよ!この野郎!」

どうやら、食べ物にホチキスの針が混入していたようです。

店の責任者らきし男性は、「申し訳ありません…」と何度も平謝りです。

その隣には、アルバイトのような若い女性が硬直して頭を下げています。

確かに、あってはならないことですし、男性が怒るのも無理はありません。

その男性は家族連れで、四~五歳の男の子が母親の隣で怯えていました。

せっかくの家族の団欒が、「異物混入料理」によって台無しになった訳です。

少なくとも、私はあまり気分が良くなかったですし、食が進まなくもなりました。
自分だけでなく店内にいる罪なき人々にも、居心地の悪い空気が漂いました。

これは、「お父さんは強いんだぞ」という権威の誇示に見え、「俺様を馬鹿にするなー!」という幼さにも見えます。

謝罪の誠意を何らかの形で得たいのならば、騒ぐことなく「食事代を無しにして」とか、「次回の食事券をくれ」と言えば済むことです。

それならきっと家族も周囲も気分が害されなかったはずです。

もしあの子供の立場だったら、どのように感じたでしょうか?

男性の行動は、家族を守ったのか?それとも傷付けたのか?

しかし、あの男性だって、普段の仕事ではきっと頭を下げている側のはずです。

立場が逆なら、アルバイトの女性にクレームをぶつけられて小さくなっているかも知れません。

物事は、循環しています。

 

 

実は、私自身も同様の事を体験したことがあります。

ある中華料理店で、料理の底からビニールの破片が出てきたのです。
もうほとんど食べた後で、気持ちが悪くなってげんなりとしてしまいました。

すると、同席の女性がそれに気づき、「怒らないで。これを堪える方がカッコイイよ」と。

「え?」

最初から怒る気はありませんでしたが、彼女からすれば不穏な空気を感じ取ったのでしょう。

「でも、ちゃんと伝えないとこの店のためにもならないよ」

「何でいちいちこの店の事を考えなきゃならないの?あなたはボランティアをしに来てるの?嫌だったら二度と来なければいいだけじゃない」

「…そうだね」

ちゃんと料金も支払って出ましたが、何とその店は数年後に廃業していました。

彼女からすれば、子供の親に躾について言って聞かせるのも要らぬボランティアなのかも知れません。

このことで、怒らないと女性から「カッコイイ」という評価をもらえると学びましたが、数年後、またもや別の店のパスタから異物が…。

今度は学習し、ウェイトレスさんに「責任者の方を呼んでください」と言って、慌ててやってきた店長さんに状況を説明し、丁重な謝罪と7千円分の飲食代を「本日のお支払いは結構です」と言って頂きました。

店を出るときに、店長ともう一人の調理師らしき男性が出口に並んで深々と頭を下げて私たちを見送りました。

この時、二次感情ではなく、本当の気持ちである一次感情を伝えておきました。

これは、認知行動療法のアサーティブ(自他を尊重する)コミュニケーションというもので、お互いを認めたうえでしっかりと主張することを言います。

「良い店だと思っていたので残念です」

この時の同席者は年上の男性で、「俺だったらブチ切れだよ。さすがにカウンセラーなんだな~」とか言って褒めてくれました。

彼は、私に便乗してタダ飯にありつけたのでご満悦だったのでしょう。

 

さて、それでも試練はあるものです。

ある中学生の不登校児から人格否定をされました。

オンラインゲームで彼女を作ることが自慢らしく、私を挑発してくるのです。

椅子にふんぞり返ってあごを突き出し、口元には常に薄ら笑いがへばりついています。

「あんたみたいな人には無理無理。ヤバいメンヘラ相手しかできないようなキモオヤジなんだから、一生理解できないっしょ(笑)」

「大体さ、カウンセラーとか、すでに終わってるし!キャハハ!」

「こんなとこ、頭おかしい奴しか来ないんじゃね?(指差して)マジ、キッモ!」

人をおちょくるような態度はかなりのものです。

「もう終わりにしてくんね?あ~、だり~。早くババァ呼んで。ここ来たら買ってやるって言ってた物速攻買わせるから」

これはボランティアではなく仕事なので、怒りなど感じている暇はありません。

『悩める人々を侮辱し、親や大人を侮辱し、人が熱意を傾ける仕事を嘲笑い…、この親のスネかじりの若造め…』

これで見事に巻き込まれたことになります。

幼稚さをそのまま受けたら、もはや同じ土俵です。

 

『この少年は、私のことを話の分かる安全な大人だと認識して、このような挑発的で開放的な会話を求めているのでは…』

『彼はこうして世間を見下して生きるしかなかったのではないのか』

『きっと、それだけのしがらみや苦しさと対峙してきた証拠だ』

『彼の瞳の陰りが訴えてくる…。こんな俺をどうか助けてくれと…』

 

怒りは深い悲しみの裏返しです。

「誰かわかってくれ!」

「とても辛くて悲しいんだ!」

逆に、女性の悲しげな涙は、怒りを意味することもあるのです。

「なんでこんな目に合うの!」

「もう!ひどい!」

女性の涙は最強の武器だと言われる所以です。

町の至る所でイライラしている人を見かけます。

それだけ、現代は悲しい人が多い証拠です。

 

不動明王が怒りの形相をしているのは、煩悩にまみれた者を救う姿だと言います。
また、日本神話のスサノオノミコトも、民を救うためにヤマタノオロチを打ち倒し憤怒の表情をしています。

動物が縄張りを守り、子供を守るために敵を威嚇するのは怒りに見えます。

人間も、子供が危険なことをしそうになったら親は怒ります。

それは愛するがゆえにです。

文脈によっては、怒りとは愛でもあると言えるのです。

 

怒りを解消させるポイントは、相手の立場を考えて「許せる範囲」を出来るだけ広げる事。

 

それでも怒りが収まらない時は、専門家に相談を。

 

 

※個人が特定できないように情報に配慮してあります。

 

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