知的障害と境界知能 ~反省に至らない人たち

知的障害と境界知能 ~反省に至らない人たち
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「お母さん…。早く帰ろうよ…。」

 

 

ある少女との出会い

 



 

あるクライアントさんを思い出すたびに、後悔と自責の念に駆られます。

 

それは、開業して数年の頃に出会った小学校低学年の女の子でした。

お母さんに連れられ、最初は少し恥ずかしそうにしていましたが、挨拶や質問にはハキハキと答えてくれます。

小柄で、とても朗らかな印象のお子さんでした。

ご依頼人はもちろんお母さんで、乳幼児期から保育所に預けて働きながら子育てをされていました。

彼女は、某有名企業の女性管理職で、当時はどうしても仕事に穴を開けられない状況だったそうです。

お父様も会社員で帰りは遅く、現在もほぼワンオペ状態であり、大切な時期にあまり一緒に過ごせなかった事をとても悔やんでいらっしゃいました。

 

礼節ある美しい女性に育ってほしい、との願いを込められた「礼美(レミ)」さんは、健やかに小学生になりましたが、あるとき担任から気になることを告げられたのです。

 

それは、「学校で独りぼっちでいる事が多く、ほとんど誰とも話さない」というものでした。

そして、それに対するご依頼内容はこちらの予測を越えるものでした。

 

「この子に催眠を掛けて、どこでも自由に話せるような性格に変えて欲しいんです。」

これは一般の方に見られる催眠への誤解と過剰期待なのですが、時折寄せられるものです。

 

「独りぼっち」は、悲しい事。

「誰とも話さない」のは、可哀そうな事。

そして、どちらも性格が原因

そのような固定観念に縛られると、「変えなければいけない」という方向に向かいます。

そして、どのように考えるのもその方の自由ですから、依頼内容は重視します。

 

当時の私には、まずは詳しくお話を伺うことがセオリーでした。

 

ある疑念

 



 

「なるほど、催眠で性格を…。それは、我が子を想うお母様としての素晴らしいお考えですね。」

「この子、家ではちゃんと話せるんです。」

いわゆる不安障害の場面緘黙としても、発達障害との関連性はあります。

実はそれよりも、初見の見立てでは礼美さんには知的な遅れの疑いがありました。

 

言葉のたどたどしさや仕草に幼さがあり、着席するなり母親にくっつくようにしていたので、不安を避けるため「何かしたいですか?」と尋ねると、キョトンとして母親の方を見ました。

すると母親が、「絵を描くのが好きだよね。」というので紙を渡すと、幼児が描くような“女の子の顔”を描いています。

母親との面接中、何度か会話を試みると、「うん」とか、「そう」などの返答はあるものの、全体的には5~6歳くらいの発達水準と思われ、実年齢と2~3歳隔たりがありました。

 

それとなく、これまでの病歴や通院歴、相談先などを聞くと、特に何もなく担任の先生との面談があっただけでした。

その中では受診をすすめられましたが、疑問に感じて受け入れられなかったようです。

また、学習面では成績が最下位でしたが、お母さんは「やる気が無いだけなんです。」との返答でした。

 

医療を拒み、心理療法に望みを託しているというのが事実。

そして、当時の私も、このような場合は医療に繋げる事がセオリーでした。

 

境界知能とは ~ケーキの切れない非行少年たち

 



 

日本の知的障害者数は約55万人で、そのうち約13万人は施設入所者です。
知能指数の分布から予測すると、IQ70以下の人は認知症を含む2.3%が存在するはずなので、日本の知的障害者数は284万人という計算になります。
診断を受けていない潜在的な「境界知能(グレーゾーン)」の人は、人口の約14%、1700万人に上るとされ、つまり7人に1人が「境界知能」ということになります。

この分野の著書が近年ベストセラーになり、注目を浴びました。

 

精神科医の宮口氏は、少年院で犯罪を犯した少年たちの精神鑑定をする中、多くの「知的・発達の障害を持った少年たち」に出会いました。

ある時、暴力行為で何度も隔離部屋に入れらていた曰くつきの少年との面談時、驚愕の事実を知ることになります。

図を模写する心理検査を行ったところ、このような結果になったのです。

 





 

この子たちは、世の中の事すべてが歪んで見えている可能性がある。

 

また、凶悪犯罪を犯した少年たちの多くは、ケーキを三等分することが出来なかったのです。

 



 

彼らは、見る、聞く、想像するなどの力が弱いので、いくら反省を促しても、何が悪かったのかが理解出来ません。

まして犯した罪に罪悪感や葛藤すら持てないことも、再犯率26%という高さに見て取れます。

つまり、「反省する」という力に達していないのです。

 

本来、教育や福祉で守らなければならない存在であるにも関わらず、診断が為されていなければあくまでも“健常者”と見なされます。

しかし、実際は出来ないことや分からないことがあって生活に困難があり、周囲からは誤解や非難を受けざるを得ないでしょう。

 

「ヤバいヤツ」
「問題児」
「不良」
「反社会的」
「危険人物」

 

殺人や放火などの凶悪事件を犯した少年の8割が、「僕は優しい人間です」と本気で答えました。
これは、適切な自己評価も出来ないことを示しています。

彼らは、このように誰にも気付かれないままいじめや差別を受け、社会から見捨てられるようにして非行に走っていたのです。

 

犯罪と学歴

 



 

新受刑者に占める「境界知能」の割合は約36%にもなると推定され、人口比の2.6倍になりますが、これは関係界隈では良く知られた事だったようです。

受刑者全体を見てみると、実際に学歴の低い人ほど刑務所入所率が高くなり、高卒は大卒の5倍ですが、小・中卒になると32倍にもなります。

 

障害を持つ犯罪少年のうち、きちんと保護者が受診させていることは稀で、鑑別所に入って初めて発覚する事がほとんどです。

経済的な背景を見ると、日本の子どもの貧困率は16%もあり、母子父子家庭だと一気に55%となって世界第一位です。つまり、進学する余裕などなく、学習の機会も少ないのです。

一見平和で豊かな社会に見えても、実際はこのように格差を生み出し、一部の層に困難や不利益が集中する状況となっています。

高校進学率が95%を超え、大学進学率が50%以上の高学歴社会の日本において、就ける職種や収入が限られて生活苦になってしまうなど、低学歴、低所得者のハンデは拭えません。

そのような何割かが挫折を繰り返して犯罪者となってしまう、という構図を示した宮口氏の書籍はベストセラーとなりマンガ化もされました。

 

ただ、犯罪被害者の気持ちを思えば、加害者は許し難い存在です。

あなたの大切な人が殺されたとしても、加害者に「責任能力が問えない」と判断されれば不起訴となって普通の暮らしに戻ります。

障害があるからとかハンデキャップがどうのなどの事情は、一切受け入れられないでしょう。

 

そして、このような情報によって、障害者や低学歴=犯罪者傾向のような偏見が生まれてしまう懸念もあります。

宮口氏の提言は、これ以上被害者を生まないためのものであり、あくまでも障害やグレーゾーンの人たちを自立させようとするためのものです。

 

一方で、それでも偏見を持つ人たちを批判することも出来ません。

「グレーっぽい人の近所に住むのは怖い」「話が合わないし、中卒の人とは関わりたくない」などの考えを持つのは、その人の自由だからです。

残酷ですが、それが現実です。

共存とか多様性という理想を社会が掲げていても、私は心理師として現実に打ちのめされた人たちを沢山見てきました。

その点からも、状況の把握や未然の準備の重要さを感じます。

宮口氏は、センセーショナルに問題提示しただけではなく、「コグトレ(コグニティブトレーニング:認知機能強化トレーニング)」というプログラムを発表し、境界知能児の具体的な支援を勧めています。

 

軽度であるほど傷付きやすい

 



 

知的障害の診断には、WISC(ウィスク)やWAIS(ウェイス)などの知能テストの結果から得られたIQや、下位検査の数値から判断します。
平均を100とし、軽度(IQ50以上70以下)、中等度(IQ35以上50未満)、重度(IQ20以上35未満)、最重度(IQ20未満)の4段階に分類されており、これを目安として生活能力全般の状態から判断されます。

すなわち、IQ70以上であれば、「知的に問題なし」と判断されてしまいますが、実際の生活ではとても困難があり、知的障害者に近い生き辛さを抱えているのです。

ちなみに、米軍はIQ85以下の者を入隊させませんが、日本の自衛隊は試験で16階級に分けられIQ60以下でも入隊が可能です。

国防を担う厳しい階級社会の中で、彼らの苦しみはいかばかりか知れません。

 

グレーゾーンや軽度~中等度の知的障害の若者は、他者との交流の中で相手の言う事を理解できず、不安や劣等感を感じ、さまざまな精神障害を持ちやすいことが知られています。

「勉強についていけない」
「相手が何を言っているのかわからない」
「何を求められているのかも分からない」

こういった戸惑いの中で、過剰に背伸びして強がって見せたり、その逆に萎縮して引っ込み思案となって引きこもったり、あるいはうつ病や統合失調症といった精神障害として表れるケースもあります。

これらの傾向は、知的水準が低い重度であるほど(自尊心やプライドが傷付くなど)少ないとされ、自分が他者からどう見られているかなどを気にする境界知能児ほど脆弱性は高くなります。

医療従事者や教育者だけでなく、彼らの相談に乗る立場にある場合は十分な配慮が求められるのです。

 

…しかし、具体的には「何をすれば」、良いのでしょうか?

 

伝えることが仇となる

 



 

礼美さんとの毎月の面接は、求められるままに催眠療法と、お母様への受容・共感に終始しました。

お母様は、それでも何の迷いもなく継続され、満足もされているようでした。

いつもニコニコと無邪気に面接室に入ってくる礼美さんは、私の事をきっと「絵を褒めてくれるおじさん」のように思っていたでしょう。

お母様は、そのやりとりを期待されていました。

でも、この数か月間で、状況は少しづつ悪化していたのです。

学校にも徐々に行けなくなっており、登校を渋って泣き出してしまうこともあり、このままでは不登校になるのも時間の問題かと思われました。

 

「礼美は、先生の所へは喜んで来たがるんですよ。」

 

しかし、私の課題は、どうやって状況を理解してもらうかという一点にありました。

そして、ラポール(カウンセラーとクライアントとの信頼関係)も十分だと感じ、終了間際にお母さんに伝えました。

礼美さんには知的な問題の疑いがある、と。

 

その一瞬で表情が強張り、不快感を表わにされました。

「先生まで、そんなことを言うんですね!」

礼美さんは敏感に反応し、途端に絵を描く手を止めました。

「お母さん。帰ろう…。早く帰ろうよ…。」

最後は、母親の手を引っ張るようにしてこちらに一瞥もせず、逃げるように退室されたのです。

 

援助の精度は、スキルにあり

 



 

それ以来、お二人がお越しになることは二度とありませんでした。

あの時のお母さんの絶望されたような様子と、礼美さんの今にも泣きだしそうな表情は、今でも忘れられません。

何が正解だったかは分かりませんが、間違いなく「間違い」があったと思います。

 

もし今、もう一度チャンスがあるならば、他の介入が選べるでしょう。

「見立て」の精度が高ければ、お母さんに対する必要な言葉と働きかけが見えていたはずなのです。

なぜ、そこまで頑なに医療を拒んでいたのか。

優秀である母親が、なぜ娘の実情を直視できなかったのか。

父親は、この状況下においてなぜ何も口を出さないのか。

そして、「独りぼっち」や「話さない」が、100%で無いならば、例外はいつ、誰との間に起こっているのか。

この状況下で、なぜ登校出来ている日も存在するのか。

例えば、それからでも組み立てられる事はいくつもあったはずですし、それらの点から構造を観察すれば、きっとシステムが見えてきたでしょう。

ポイントは、あくまでもクライアントである母親にフォーカスし、セオリーにこだわらず、抵抗が予測出来る事を避け、柔軟にシステムを観察すべきだということです。

 

そうすれば、医療に繋げる事はもちろん、しかるべき支援先に繋げる事も十分可能だったはずです。

当時の私にスキルがあれば、きっと礼美さんを守ることが出来たと思います。本当に後悔しかありません。

 

父と子と女子高生

 



 

事務所の窓から、ある息子さんとお父さんが散歩する姿が時折見られます。

20代前半くらいの息子さんは、重度の知的障害のような様子で手をひらひらさせて踊るように歩いています。

お父さんが先を歩き、2~3メートル後ろから息子さんが付いていきます。

彼は、ずっと唸るような声を出していますが、時々唐突に大きな叫び声を上げる癖(症状)があるようです。

周囲に人がいると、振り向いて驚いている様子があったり、少し薄ら笑いの表情を見せる人がいますが、お父さんは迷惑を掛けないようにさりげなく息子を促して歩を進めます。

 

ある時、いつものように散歩する彼らと、賑やかにじゃれ合いながら歩く女子高生のグループが行き交う場面がありました。

雰囲気からすると、少しやんちゃ傾向を感じられるような騒々しさです。

「まじかーー!やばくね!」

「えー!超カワイイじゃん!」

「ふざけんなって!キャハハハ!」

そして、ゆっくり歩く彼女たちを追い越す直前で、息子さんがあの叫び声を上げました。

学生たちは、びっくりしたように振り返って立ち止まっています。

私は、少しハラハラしました。

 

すると一人の子が、

「こんにちは。」

他の子も、

「こんにちは。」「こんにちはー。」「こんにちはぁ。」

父親もそれに、小さく「…こんにちは。」と返します。

 

『イマドキの若者は…。』

何だがジーンとするものがありました。

 



 

彼女たちは、道すがら「叫び声」という想定外の出来事に出くわしました。

友達との平穏な日常の中で、ちょっとしたショックを受けた言うなれば被害者です。

しかし、その加害者側を見て状況を把握し、瞬時に相手を気遣うことが出来たのです。

『私たちは、あなたを拒絶していません。』

『私たちは、あなたを受け入れています。』

そして、他の子みんなが、それに従いました。

 

それを意外に感じてしまったのは、私に先入観があったからだと思います。

勝手に、人を先入観で見てしまうのは間違いです。

彼女たちがそれを教えてくれました。

 

機械ではない私たちは間違いを犯します。

人間なんて、所詮間違いだらけなのかも知れません。

しかし、間違いに気付いたら正すことが出来ます。

 

“教育には希望がある”

“共存や社会扶助の道はきっとある”

 

知的障害者や境界知能者に対する支援の正解は何でしょうか。

効果のある新薬や画期的な心理療法が開発されるのか。

学校教育で何らかのプログラムが施行されるのか。

従来のSSTやコグトレが解決策となるのか。

どちらにしても、百人百通りの正解や解決策があるのだと思います。

 

 

短期解決への一歩を踏み出すなら、心理相談へ。

 

 

※個人が特定できないよう、情報に配慮しています。

 

記事を書いた人 Wrote this article

Kondo

短期間で改善を起こす、ブリーフ・サイコセラピー派の心理師。 あらゆる問題の解決事例を持ち、超合理的に結果に導く。 臨床から産業、教育分野まで、幅広い実践経験を持つ。 専門家からの相談を受けるマスター・カウンセラーである。

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