心理師プロフィール

心理師プロフィール
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担当者がどんな人物で、どのような背景を持っているのか?

このページで詳しくご説明します。

 

プロフィール 

近藤 ひかる Hikaru Kondo

心理研究室ふじまる代表
千葉県船橋市出身

公認心理師(心理職の国家資格。厚生労働省文部科学省)
心理システム・コンサルタント® (国内数名の有資格者)
厚生労働省認可 ストレスチェック実施者
両立支援コーディネーター(治療と就労の両立を支援する業務:厚生労働省)
一般社団法人 全国心理技能振興会 元代表理事
整体師(カイロプラクター)
NPO法人 日本心理カウンセラー協会 学術顧問
日本学術会議 学術研究協力団体指定 日本ブリーフセラピー協会会員

■米国心理機関の認定
米国NLP(TM)協会認定NLPトレーナー
NLPマスタープラクティショナー
国際催眠連盟(IHF)認定トレーナー
国際セラピートレーニング協会(ITTO)認定トレーナー
全米催眠療法協会(American Board of Hypnotherapy)認定ヒプノセラピスト

テレビ、マスコミ取材出演歴

研修・講演実績

 

モットーは、心理学より“心理道”

エビデンスベースでも評価が高い「短期療法(ブリーフ・セラピー)・家族療法・SA(システムズ・アプローチ)」の臨床技術者。

心理職を目指した当初より、各流派、評判の心理士を訪ね歩き、学説、理論にこだわらず学びを請い、技術統合を目指す。
同時に、相談室を設け、学歴、資金、人脈、経験なしの週末起業スタートから、ほぼ口コミだけで独立を果たした。

臨床経験として、うつ傾向などの精神的不調、不登校、家族や社内の人間関係までに及ぶ相談案件は、5,300件以上。総面接時間は63,000時間を越える。その改善率の高さから、“カウンセリング十段”と呼ばれる。
(一社)全国心理技能振興会代表理事に12期就任。
医師でも心理学者でもなく、著書もなくメディアの注目もなく、まして千葉の片田舎の相談室にも関わらず、20年にわたっての実績が逆に注目され始め、国立病院や大学、公立校からも研修依頼が寄せられる。

男女年齢層も広く、幼稚園児から経営者のメンタルマネジメント、組織のモチベーショントレーニングまで対応できる、数少ないオールラウンドな心理の職人。

当事者と会わずに変化を起こす

通常のカウンセリングのように、問題と認められた人物=当事者に会うことなく、それに困っている周囲の人へ助言することによって、短期間に変化を起こす心理療法の技術を持つ。

・不登校児に会わず、その保護者との面談で変化を起こす。
・“問題あり”と見なされた人物(家族、部下、関係者)に直接会うことなく、相談者との面談だけで状況を改善させる。

その状況を構成する「システム」という視点によって、最小の労力と最短の時間で、最大の変化を起こすことが可能。

当初から、M・エリクソンに傾倒しており、カウンセリングや催眠、NLPなど、心理療法系の研修や訓練を受け続ける。やがて臨床専門のNLPトレーナー(NLPの教育者)として草分け的な存在となり、また、心理スキルの講師としての教育キャリアも豊富となるが、その頃は個人を対象とする面接しかできなかった。

 

しかし、著名な教授、先生方に学ぶたびに、そこにある民間講座との決定的な差に気付く。

それは、「システム論(相互作用の循環)」の見識。

サイエンスとしての「根拠と実証」

「怪しいと言われるのも、胡散臭く思われるのも、自分に権威や実績が不足しているからだ…」

エリクソンを科学的に検証する諸学派、短期療法、家族療法、システムズ・アプローチ、SFA(解決思考アプローチ)、コミュニケーション派、特に、MRIの技術には圧倒された。

これまで数多く出会ってきた、国内外の怪しく実力無き”自称カウンセラー・セラピスト”から離脱するにはこれしかないと理解し、その習熟に没頭していく。

「本当に使えるのか」の探求は、学問領域から文化や伝統にも及び、哲学的な“心理道”の様相を呈するが、むしろ逆に「(良くわからなくても)使えれば何でも良いのではないか」という矛盾となる。

それは、学究や趣味ではなく、あくまでも職業として選んだ道であり、顧客ニーズを最優先するという結論から。

 

徐々に仕事が増え出した頃、意外なことに同業者(他流派)や他業種からのアドバイザーとしての依頼が度重なる。
そこで明らかとなったのは、容易に取れる心理系の民間資格を取って、「心理カウンセラー」「〇〇セラピスト」となった方々が、実際にクライアントを前にして何をすれば良いのか分からず悩んでいるという現状を知る。

事例のスーパービジョン(教育訓練)や個人的な問題(教育分析)の支援などではかなり難しい事案もあり、初めの頃は恩師たちから得た技術の受け売りに過ぎなかった。しかし、数多の短期療法のスキルを伝播していくうちに、伝える事こそが最大の学びとなった。

「出来る限りシンプルに、分かりやすく」をモットーに助言をしていると、専門用語も少なく具体的ということもあって、プロからも「日本一的確なアドバイスが出来るカウンセラー」と言われるようになる。

かくして数十年…、直接不登校児などの当事者に会わなくても、親からの連鎖反応で変化を起こすという評判から、はるばる全国各地、インターネットのオンライン相談ではアジア欧米各地からも依頼が訪れる。

カウンセラーからコンサルタントへ

個人から、組織、団体へと対応範囲が広がると、ビジネス系のトレーニング依頼を受け始め、マネジメント、人材育成、ハラスメント問題や労災、離職や自殺抑止など、中小企業のメンタルアドバイザーとしても精力的に活動。
特に、経営者が抱える仕事没頭の報いともいえる事業(親族内)承継、リーダーシップ、家庭不和、離婚問題などの相談に乗ってきた。こういった経緯で、「心理コンサルタント」を肩書に出す。

初期の頃は、起業家や管理職者の集まりに参加しては、そこで実際に相談を受けて受注するという地道なスタイルだった。この頃、つくづく社長や組織のリーダーは重責を負う孤独な存在なのだと痛感する。そして、参加する度に仕事の依頼を受けるので、スタッフからは「歩く心理営業マン」と面白がられていた。

彼らにとっての良き伴走車として、従業員満足度で売り上げやハラスメント問題が軽減することや、スムーズな事業承継法の仕組づくりなどを通じ、彼らをサポートすることによって従業員に良い影響を及ぼし、広く社会に貢献出来るということを使命とする。

教育啓蒙活動

現在ではテレビやマスコミからの取材も多く、各地でセミナーや講演活動なども行い、医療、介護福祉、教育など、様々な分野から高い評価を得ている。

数種の技術を統合した独自の講座は、「人生観が激変する」との評価を呼び、何人もの独立開業者を輩出し、実際にマスメディアで活躍中の何名もが教え子たちである。
常に学び続け、諸大学の教授からも直接指導を受けており、「心理研究室ふじまる」は、その最先端の統合された心理療法を、県内で受けることができる唯一の機関である。

■なぜか良く聞かれる質問
尊敬する人物 … 柳生宗矩、源義経、徳川家康、ピタゴラス、ミルトン・エリクソン、東豊、両親と先祖


なぜ「ふじまる」なの? … 近藤の「藤」の字は藤原氏に通じます。自分のルーツなので使いたいと思い、藤の字を〇で囲む感じで決めました。

また、「丸」は、船名や刀剣などに「○○丸」という風に付けられますが、クライアントさんの新しい人生への船出という意味も込めています。

なぜ、この仕事を? … 理由は様々ですが、人の心に関心があったという運命のようなものです。


初対面でよく言われる事 … 「繊細そう」「寂しそう」(要するに暗い…) かと思えば、「淡々としてる」「楽天的」(要するに軽薄なバカ…) …いじられやすと思います。


座右の銘 … 自らを尊ぶ者は他者を尊び、互いを尊べば調和が生まれる。


■趣味、人間性、歴史 … 趣味は読書、植物の世話(ガーデニング:野菜、樹木、草花等なんでも)、ギター、映画、音楽(ロック、ブルース、Jポップなど広く浅く)、美術館、博物館めぐり、料理(30年以上のベジタリアン)、コーヒーとお酒、買い物、旅行、キャンプ、運動(軽登山、トレッキング)、ドライブ、日曜大工など。般若心経、天津祝詞を暗唱できる(趣味として)。ゴールド免許35年以上更新中。

 

家庭環境や成育歴

厳格な祖父母

生まれたのは千葉の旧家。両親が共働きのため、年の離れた姉と祖父母によく面倒を見てもらう。
堅実で仕事熱心な父、温和で明朗な母、向学心旺盛な姉、叔父母に囲まれた幼少から少年期を送る。
小学校高学年までは物静かで、臆病で、成績も悪く、友達の少ない子。同居していた祖父母は、そんな出来の悪い孫でも、時に厳しく、時には優しく、どんな時でも自分を大切にしてくれた。

「世の中を明るく照らす”光”となれ」

…祖父に付けられた名前がプレッシャーだった。

連れて歩かれるのは、いつも神社、仏閣、史跡など。本は何冊でも買ってくれた。しかし独特の威厳がある祖父の前では、常に緊張感があった。

書画や教養を高める姿勢や文化人的な雰囲気があり、今にして思えば「人間て何なんだろう?」といった妙な哲学思考があったのも、祖父の影響によるものだと思う。

 

祖母には、古き良き謙虚さや奥ゆかしさとは違った独創性があった。

お嬢さん育ちでありながら旧家に嫁ぎ、九人兄弟を育て上げた男勝りで気丈な明治女。粘り強くて愚直な部分など、遺伝的な影響を強く感じている。


そうして、物心着く頃には若干周囲に馴染めないマニアックな思考の子供になっていた。

家風が厳しくて、その反動で強さや冒険に憧れ、中学時代のヒーローは、ブルース・リーと、ジャッキー・チェン。漫画も大好きだった。コンプレックスの塊ながら、空想ばかりの夢見る少年。武道家を気取って近所の道場で少林寺拳法を習い、連休には友達と何度も山岳修行(山篭り)を行なっていた。
当時、国語の先生に強い影響を受けた。

高校時代にはロックに目覚め、美術部ながらバンドを組んでボーカルと作詞作曲を担当、いくつものライブハウスのステージに立ち、何となく社会性を育む。ジャンルは、ハードロックからロックンロール、ブルース、ファンク。デモテープをレコード会社に送ったり、オーディションを受けたり。ロックスターを夢見ていた青春時代。アルバイトは通算10個以上やって、学業は怠慢に。


大学生の時、司馬遼太郎などの歴史小説にハマる。気分は幕末の志士。坂本龍馬や吉田松陰、高杉晋作を追って全国の史跡巡りブーム到来。

「世の人は我を何とも言わば言え 我なす事は我のみぞ知る」坂本龍馬

松下村塾に対する憧れと戦後教育への反骨心から、大学の試験用紙の裏にびっしりと論文(長文?)を書き、教授会で問題となる。しかし、単位をくれる教授が何人もいて、ある先生に呼び出され、「君は、生まれた時代を間違えている」との言葉を頂戴する。

モラトリアム期は、八十年代という時代背景を反映し、何にも熱くなれず、そして熱くなりたいという葛藤を帯びていた。

オートバイにも夢中になって、度々遠出して見知らぬ土地を訪ねた。 時には海外も見聞したりしつつ、「人生とは何なのか?」「いかに生きるべきか」自問自答の日々が続く。

 

 

初めて乗った飛行機で降り立ったサンフランシスコで、かなりのカルチャーショックを受ける。

ロサンゼルスからワシントン、ボストン、ニューヨーク、オーストラリア、東南アジア、南アジアなど、各地で受けた伝統文化的洗礼は、よりアイデンティティを刺激するものとなった。

 

 

地元の方と親しくなると必ず、「日本のカルチャーを教えて」との質問が来るが、これといった返答が出来ない自分がいた。

 

「自分は、亜細亜人。日本列島に住む日本民族だ」

「少なくとも、世界中の誰もが自分をそう意味づけている」

「だが、自分はそれについて何となくしか語れない…」

とても惨めな感覚があった。

 

再び武(士)道で何かを掴めるかと、空手や合気道をやってみたり、哲学や心理学書などを読んで“道”を尋ねるが、葛藤と挫折の連続。心から求めていた、この人に師事したいという人物に出会うのは難しかった。

 

生き辛さと葛藤の日々

やがて、大学を辞め、契約社員として数社、正社員として大手メーカーの子会社で営業職。しかし、何をやっても上手くいかず、ギリギリの精神状態。
「馬鹿野郎!この青二才!生意気だ!」など、上司や同僚から罵声を浴び、人間関係を築けず、いつも孤独を味わっていた。それでも、なぜかいつも1~2人の理解者ができた。

苦行だった会社員時代、彼らの優しさがなければ、きっと自暴自棄になっていたと思う。

「光あれば、影を生じる…」

世の摂理だったのか、この頃から何人ものカウンセラーやセラピストのお世話になっていた。
通勤中の読書が唯一の楽しみで、何冊かの本によって転機が起こる。人生を変える出会いは、いつも本の中にあった。その著者を慕って手紙を送り、面接を経て彼の事務所に入社。


ある意味、人生観を変えるような作家先生のスタッフとして一心に働けたことは、非常に有意義で充実した日々だった。

そこで出会った社長への敬愛の念が募り,氏の地元である奈良へ引っ越す。しかし、依存させず常に適度な距離で自立を促し続けてくれたので、流転の日々が数年間続いた後、ついに天才的心理療法家との出会いを果たす。

自己確立と起業

そのカウンセリングによって、自分の中で何かが大きく変化した。

「自分とは、ありのままでいいのだ。何者でなかろうとも、自らの人生を生き抜こう」

呪縛が解かれたことによる、自尊心の萌芽、自己確立の境地と言えるかもしれない。それまでは考えようもない、驚くべき変化だった。その変容を起こした技術が米国の精神科医M・H・エリクソンによってもたらされたものだと知り、瞬間的に自分の道が決し、修行と鍛錬の日々が始まる。

 

細々とした開業時は技術も未熟で場所が奈良県の僻地でもあり、決して生活出来るまでの収入にはならず、大阪の整体士のアルバイトで生計を立てていた。初心者にも関わらず、常にリピーター率と指名率はトップレベル。ただ施術するのではなく、同時にカウンセリング(悩みや相談事を聞く)もするというスタイルが支持されての結果っだったが、これが大きな自信となった。

関西の人たちの気さくで大らかな人柄に触れ、大いに感化された。京都や奈良でも働いていたが、本当に関西の人々の気質にはいつも支えられ心から感謝している。

 

地元へ戻って再開業。更に師を求めて数十人の恩師を得たが、皆御高名な方達で、学びには本当に恵まれた。時には海外での勉強、多くの書籍とセミナー…。流派や学派にこだわらず、学べるものは何でも習得。そして様々なクライアントとの面接を通じて実践と検証を重ねる。

公認心理師になってからは、医療福祉、教育のみならず、産業領域との仕事が増加するが、個人面接を基盤とするスタイルは変えていない。それは、どのような組織や団体であろうとも「個」に帰結する(個人に変化の要因がある)から。

何事にも、性善説(すべての人間は善なる存在であるとする人間観)を基盤にしている。
元々、理論的で冷静な部分もあるが、人一倍熱くなったりもする時もあり、それを発揮できるこの仕事に支えられている。

堅実に、着実に

自然を愛し、動植物を愛し、人と親しみ、健康的に生活することを善しとする、比較的地道でマイペースな日々。
食と心身の健康の関連性から、ほぼ穀物菜食の生活。
使命は、人間の岩戸開き = 個人の能力と可能性を最大限に開花させること。
自称、大地に根差す心理師。奈良時代は、山間部の古民家に移住し、自給自足的な生活を行いつつ、村おこし活動に参加。本業はボランティアと明言するほど、人知れず行うボランティア活動は全国を又に掛けている(陰徳と幸福感の関連性)。

カウンセラー不要論

誰も悩んでいないし、苦しんでもいない。問題と認識されるものは何もない。みんなが幸せで満たされた人生を送っている。

もしもそんな世界が実現したら、カウンセラーなど必要ありません。しかし、いかに危険を察知して生存するかという人類の進化論的な点からも、不安や恐怖などのネガティブな感情は不可欠なものです。

パラドックス(自己矛盾)ですが、私はこの世から必要とされない仕事が「カウンセラー」となる日を夢見ています。

苦しんでいる人を見ているのが苦しい、というだけの欺瞞なのかもしれません。

その時までは、自分にできることを尽くし、お役に立てるだけ立って、後はのんびり芸術でも楽しみたいと思っています。

献血セラピーのススメ

思い悩んでいる時は、あえて人に親切にしたり、ちょっとした支えとなることをしてみて下さい。自分が、陰ながら誰かの命を支えているという喜びとなって返ってきます。献血ルームは、思いやりのエネルギーが満ちている最高のパワースポット、…という妄想をしています。

 

 

人様の「こころ」を支えるという重責に添うため、これまで絶え間なく研鑽を重ねてきました。
その証しとして、また恩師たちへの感謝を込め、ここで一部ですがご紹介させて頂きます。

研修やトレーニングを通じて御教授頂いた方々

 MRI(Mental Research Institute)所長、カリーン・シュランガー先生と。
このMRIこそ、かの文化人類学、精神医学の巨匠Gベイトソンと共に、Jヘイリー、Pワツラウィック、Jウィークランド、Vサティアなど、錚々たる研究者が集い、短期療法、家族療法をはじめとする心理療法の最先端の研究実践機関となりました。サイバネティックス、ダブルバインドなど、様々な理論に基づき、目覚ましい成果を挙げ続けています。


国際セラピートレーニング協会(ITTO)会長(元全米催眠療法協会“ABH”会長)全米催眠療法学院(AIH)プログラムディレクター 認定NLPトレーナーリチャード・ニーヴス・Ph.D博士と。
理知的な紳士で、催眠における第一人者。変性意識に関する多くの事を丁寧にご教授頂きました。


NLP(神経言語プログラミング)創始者リチャード・バンドラー博士と。
初めて見たバンドラー博士は、まるでハリウッドスターのような、華やかでカリスマ的な雰囲気を持っていました。心理系の著名人の中では、圧倒的な影響力を持つ人物の一人だと思います。


NLPマスター・トレーナー:ジョン・ラバーユ(中央)を囲んで。<アメリカ・フロリダ州オーランド、シェラトンスタジオホテルにて>
バンドラー博士の厚い信頼を受ける優秀なトレーナー。この人を見て、アメリカでは心理系の教育者とは、エンターテイナーでなければならないのかも…と感じました。


カナダの世界有数のNLPマスター・トレーナー、エリザベス・バトラー(中央)を囲んで。
穏やかで慈悲深く、それでいて理論的で鋭い切れ味のある講座をなさる方です。


かの、カール・ロジャース博士(来談者中心療法の創始者)のもとでセラピーを学び、前世療法、退行催眠、インナーチャイルドセラピーでの世界的著名人、トリシア・カエタノ女史と。あの、ブライアン・L・ワイス博士(『前世療法』著者、精神科医)も、彼女の教え子の一人。


国際的に認められたエリクソン催眠の指導者、トーマス・コンドン氏と。
米国、ヨーロッパ、アジアにおいて800以上のワークショップで教え、 ミルトン・エリクソンの長女である、キャロル・エリクソン女史とも活動を共にされています。


スウェーデン福祉研究所所長、グスタフ・ストランデル氏と。
認知症緩和ケアにおける補完的手法、「タクティール・ケア」の第一人者として、世界中を駆け回っていらっしゃいます。


(有) C+F 研究所代表。エニアグラム研究所(日本)代表。 日本トランスパーソナル学会顧問、ティム・マクリーン氏と。
東洋の思想に明るく、日本語もご堪能です。集団誘導では、何度も深い変性意識状態に誘って頂きました。


国内の諸先生方

東北大学大学院准教授 教育学研究科・教育学部 人間発達臨床科学教育学博士 臨床心理士 若島孔文先生と。
国内の短期家族療法(ブリーフセラピー)における研究と実践では、若手ナンバーワンの実力と実績をお持ちです。人を許容し理解する態度、そして柔軟さとユーモア。空手と犬を愛する、魂のカウンセラー。


龍谷大学大学院教授 文学研究科臨床心理学医学博士 臨床心理士 東豊先生と。
家族療法、システムズアプローチ、ブリーフセラピーの担い手であり、心理界の泰斗です。温和な笑顔とユーモア、冷静な見立て、自然な会話を通じて劇的な変化を起こす、心理臨床の匠。先生に出会って、信念という物の凄まじさを再確認しました。


龍谷大学大学院教授 文学研究科臨床心理学文学士 臨床心理相談室室長 吉川悟先生と。
家族療法、システムズアプローチにおける権威で、その教育のエキスパートです。丁寧で、わかりやすく、難しい技術もあっという間に腑に落ちました。練りに練られたような講座と面接が持ち味の先生です。


現代臨床催眠(現代催眠、エリクソニアン催眠)の第一人者、臨床心理士 故、吉本武史先生と。 
先生のご指導を通じて、現代催眠というものが、どれほど広く社会に貢献できるかを学びました。心よりご冥福をお祈りします。


杏林大学名誉教授。医学博士。精神科医。古賀良彦先生。睡眠障害と関連が深い統合失調症、うつ病の治療を専門にされています。日本催眠学会名誉理事長、日本ブレインヘルス協会理事長、日本薬物脳波学会副理事長も務めておられます。


慶應義塾大学医学部教授(保健管理センター)の大野裕先生と。
日本認知療法学会理事長 国内におけるCBTの中枢を担う先生です。厚生労働省の精神医学研究班の責任者であり、DSM-IV(最も権威ある米国精神医学の診断書)日本語訳者。皇后雅子様の主治医でもあります。


タッチフォーヘルス(TFH)、セラピー界の重鎮、山田喜愛先生と。
キャリア65年、延べ十万人以上を癒した慈悲深きゴッドハンドでした。
心よりご冥福をお祈りします。


堀之内高久先生 元横浜国立大学保健管理センター准教授。メンタリング研究所スーパーバイザー。
先生の研修には、多くの経営者が集まることで有名ですが、そんな彼らでさえ、心が揺さぶられて涙する、プロのメンタルコーチです。


長谷川啓三先生 東北大学大学院教育学研究科教授。臨床心理学者。教育学博士。
ブリーフセラピーを日本で広め、多くの優秀な人材を育てた先生です。ユーモラスで飄々としたお人柄で、「実るほど…」の体現者的な巨匠です。


平木典子先生 東京福祉大学大学院臨床心理学専攻教授。心理臨床、家族療法がご専門の先生です。ご自身の研究機関を持たれ、賛同する先生方により、医療、福祉、教育他、各界への支援を活発にされています。


渡辺トヨ子先生 看護師、元最高裁判所診療所勤務。
ゲシュタルト療法の研修でお世話になりました。その時、その瞬間に起きたことを使い、心のケアをするセラピスト。愛とは、時に厳しいものだと痛感しました。


生田倫子先生 神奈川県立保健福祉大学 保険福祉学部 准教授。
短期療法、家族療法の教育者としては、第一級の分かりやすさがあり、そのための緻密な工夫をされています。女性ならではの視点、主婦ならではの視点、教師ならではの視点。何もかもが先生の持ち味です。



ご縁を頂きました諸先生 (文化人・著名人)

内閣総理大臣(第95代)、財務大臣(第14代)、衆議院議員、野田佳彦先生と。
ご自宅も近所で、地元、二宮中学校の先輩です。


作家、井沢元彦先生と。「逆説の日本史」などの歴史学著書で有名です。


ミュージシャン、大槻ケンヂさんと。
筋肉少女帯、音楽活動の他、作家としても活躍されています。



 

日本において、古くから尊ばれているのは“道”という考え方です。

華の道は 華道。 書の道は 書道。 武士の道は 武士道。

これは、後に西洋やインドから流入された“教え(○○教)”ではなく、自らの心身を鍛え、自らの意思で決め、日々行っていくところに特徴があります。

たとえば神や仏、偉人(マスターやメンター)などに教えられるばかりではなく、自立し、自分で歩いていく“道”。それは、圧倒的な自分への信頼です。

その究極は、神社などに代表される民族的思想“神道”(しんとう=神に至る道)にあります

「人」が、「神」になる道。

確かにおこがましく、おそれ多いことかも知れません。

しかし、わたしはそこに、人間という存在の無限なる可能性を信じ、貫いていこうとする古代日本人の姿勢を感じます。

そして、逆にその考えの根っこには、万物に崇高さや偉大さを感じ、おそれうやまうことにつながっています。

人間だけではなく、お日様やお月様。風や雨。花や動物。大自然のすべてが尊い。

道端の一本の草にさえ神々しさを見る。

実際に日本人は、古くから石や岩のような無機物にも神が宿るとして大切に拝んできたのです。

これは、特定の何かが尊いのではなく、すべての命がありがたく尊いのだという考え方です。

わたしは無宗教ですが、これに強く惹かれます。

しかしながら、私はいまだかつて神様を見たことがありません。

しかし、人をそのように感じたことは何度もあります。

苦しいときに手を差し伸べてくれたのは「人」でした。

悲しみの中で、見守ってくれていたのは「人」でした。

そして、人生を教えてくれたのも「人」でした。

だから人間は、きっと誰かの神様になれるし、本当は誰もがそのような尊い存在だと思うのです。

全ての人が、そんな自覚を持って活き活きと生きたら、もっと世の中は良くなるのではないでしょうか。

自分にとってこの仕事は、それを成し遂げる具体的な方法です。

出会う全ての人に善を見て、感謝を送り、自分にできることの全てを信じ、人事を尽くす。

それが人間の誇りであり栄光である。

わたしは、そう信じています。

 

 


 

この「道」という文章には、後日談があります。
コンサルタントの加藤洋一様が、この文章を見て下さり、光栄なことに、自著「小さな会社がNo.1になれるコア・ブランド戦略」に、全文を記載し、ご紹介して下さいました。そして、わざわざ近藤への推薦文までお送り下さいました。

 

 

記事を書いた人 Wrote this article

Kondo

短期間で改善を起こす、ブリーフ・サイコセラピー派の心理師。 あらゆる問題の解決事例を持ち、超合理的に結果に導く。 臨床から産業、教育分野まで、幅広い実践経験を持つ。 専門家からの相談を受けるマスター・カウンセラーである。

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