子供に嫌われる親

 

「お母さんなんて、大っ嫌い!」

「お父さんの嘘つき!」

 

 

「あんたに何がわかるんだよ!」

「うざってーんだよ!消えろよ!」

 

 

家庭内の問題は、なぜ空回りするのか

 

今まで、「問題児・素行不良児」とされる多くの子供たちと面接をしてきました。

不登校、引き籠り、いじめ、自傷、家出、万引き、非行、虚言、仮病など、彼らは何かしらの問題行為をして周囲を困らせます。

それでもご家族は、あちこちの相談施設などを調べたり、何とかして状況を変えようとします。
中には、激しく抵抗する子供と殴り合いや取っ組み合いまでするご両親がいたり、本気で向き合おうと頑張っています。

しかし、そんな涙ぐましい努力も結果に繋がるとは限りません。
それどころか、どんなに深い愛情でさえ空回りすることはあります。

状況を、一方向から見て“問題”だと捉え、上手くいかないことを良い方法だと勘違いして連続して行うだけだからです。

何事も熟慮された工夫がなければ結果にはつながらないのですが、思考が硬直しているとそうもいかないでしょう。

 

ただひたすらに、子供の将来のために心を砕いているのに。

親として、良かれと思ってやっているのに。

つくづく、親の心、子知らず…。

 



 

別に…。話したいことなんて無い…

 

そもそも、子供から進んで相談に来るというケースは稀で、ほとんどはご両親からの依頼です。

また、本人は大抵来たがりませんし、来たとしても「話したいことはない」とか、何らかの行動を促しでもすれば、「無理。できない。嫌だ」という返答が返ってくるだけです。

「何があったのか」「どんなことを考えているのか」など、理由を聞いても、今一つ要領を得ないでしょう。

要するに、簡単に他人を信じてはくれません。

それは、彼らがどのような環境の中で生きてきたのかを知れば明白です。

誰も、好んでそのようなキャラクターになっているのではないでしょう。

どうすれば、自分らしく活き活きと生活できるのか。

どうすれば、より良い充実した毎日が送れるのか。

きっと、その手段を知らないまま、あるいは無関心を装って「何となく」日々を生きているのではないでしょうか。

 

説得力が問われる「親の姿」

 

では、少し考えてみてください。

もし、入院中で顔色の悪い人から健康のためのアドバイスを聞かされたらどう思うでしょうか?

その話に説得力があるでしょうか?

それどころか、まるで嘘っぽくて抵抗さえ感じるはずです。

「そんなこと、あなたに言われたくない」

 

それは、子供たちにもそのまま当てはまります。

抵抗や反抗には、はっきりとした事情があるのです。

ご両親がいつも疲れていて、イライラして、全く幸せそうでもないのに「勉強をしなさい」とか「ちゃんとしなさい」と言ってきても、それに信憑性があるでしょうか?

そんな人から言われても、「はい。分かりました。あなたの言うことは正しいようだ」なんて思うわけがありません。

幼い頃ならいざ知らず、物心がつく年頃になれば必ず抵抗してくるでしょう。
「お母さんとお父さんは、いつも不機嫌で笑ってない…」
「毎日、全然楽しそうじゃない…」
「あんな人生は嫌だ!」
 

もうお分かりですね。反抗とは、親を信用することが出来ず、その姿に嫌気が差している証拠です。

残念ながら、むしろ『こんな大人にだけはなりたくない』とさえ感じてしまいます。

そんな親の背中を見せられてきた子供に罪があるでしょうか?

 

信頼できない大人たち

 

私は中高生の頃、先生から叱られて何度か体罰を受けました。

理由は忘れましたが当時は珍しいことではなく、大半の男子が経験していたと思います。

しかし、反省しているように振る舞いつつ、内心ではいつも激しい抵抗を感じていました。なぜなら、偉そうにしている先生たちに全く説得力がなかったからです。

 



 

「尊敬できる指導者」と感じさせてくれる先生には会ったことがありませんし、「教師という仕事は素晴らしい」と感じさせてもくれませんでした。

校則というルールに従わなければ、一方的な叱責や体罰。そして「問題児」などのレッテルを貼る…。

「子供なんだから」

「学生は勉強しろ」

「落ちこぼれの分際で!」

 

もう、その当時の反逆のロックスター尾崎豊の心境そのままです。

それは、働き始めても同じでした。

「仕事を舐めるな!」

「バカ野郎!甘いんだよ!」

「俺の言う通りにやってればいいんだよ!」

 



 

…だから、その説得力と信憑性はどこに見出せばいいんですか?

いつしか、社長も部長もリーダーも、人の上に立つどの人にも期待することがなくなりました。

「長いものに巻かれる」というのは、きっと優れた才能です。

そして、信頼できない誰かが舵を取る船に乗るのはあきらめて、自分自身が舵を取る人生を選びました。

自営業(起業)です。

それは恐怖と不安と責任と…ほんの少しの自由を手に入れることでした。

私にとって初めての「理想的な人物像(若干ですが)」が、たまたま心理職(セラピスト)だったというだけのことですが、その人物に出会っていなければ迷いの時間は続いていたかもしれません。

師を得て道を得る。まさに人生の節目だったと思います。

 

子供は、見たものしか学べない

 

子供は正直です。また、見聞きしたことや経験したことしか学べません。

親が充実した輝かしい人生を送っていればそれを学び、絶望と落胆の日々を送っていればそれを学びます

 

反面教師というのも後の事で、直面している真っ最中は辛く寂しく、ただただ毎日が空しいのです。

これを指摘すると、ほとんどの親御さんが身につまされるような顔をなさいますが、もっと辛いのは子供の方です。

中には、「私は〇〇(一流企業)で副社長をしています(だから息子から尊敬されているはず)」と胸を張る方や、「元国際弁護士の秘書をしていました(娘から憧れられているはず)」などと、栄光を示される方もあります。

しかし、たとえどんなに富や名声があったとしても、それ自体に子供が憧れを持つはずもなく、そこに確かな《幸福度・充実度》が感じられなければ、単なる虚飾に過ぎないのです。

子供には、そういう世間体やハッタリは無意味です。

逆に、病気がちで貧しく家族が何らかの事情を抱えていようとも、お互いを理解して助け合い、笑顔に包まれていれば子供にとっては幸せなのは何ら不思議ではありません。

人間の幸福感とは、そういった身近な誰かとの関係の中に成立することが多々あります。

 

その最小単位が家族や夫婦であり、最も人生に影響を及ぼすと言えます。

お母さんとお父さんがギクシャクして円滑な会話もなくて、「仲良くしろ。友達を作れ」なんて、意味が分かりません。

それだけでなく、そんな不幸せそうな大人を見ていたら、働くことも結婚することも夢を持つことも生きること自体にも希望が持てなくなるでしょう。



 
「親なんて信用できない!」
「大人なんて、嘘つきばかり!」
「もううんざりだ。冷めた目で世の中を見ていよう…」
 

こう感じてしまうのも、当然のことではないでしょうか?

 

小手先ではない、有効な手段

 

子供に好かれるための「褒める・笑顔・スキンシップ」などの小手先の手段は、時間と共に剥がれ落ちていくものです。

本質は、あなた自身でしかありません。

子供は、いつだって親や大人の鏡だからです。

もし、子供が夢を持たず、堂々と胸を張らず、何事にも情熱を傾けないとすれば、そういう大人しか見てこなかったからかも知れません。

 

そして、広い視点で見れば、社会全体にも当てはめることが出来ると思います。

 

未婚、晩婚化 = 幸せな夫婦の暮らしを見たことがない。

ニート、引き籠り = 働く喜びを感じさせる大人に出会っていない。

夢や希望を持たない = そんな大人を見たことがない。

 

子供に現れる全ての問題は、そのまま社会の縮図だと思います。

自殺する若者が多いことも、悲しいですがきっと深く繋がっています。

 

親としては、まず自分の行動できちんとした手本を示すべきです。

 

「こうすれば、夢が叶うよ」

「こう考えれば、幸せになれるよ」

「こうすれば、充たされた毎日を送れるよ」

 

何かを言うのならば、まず自らがそれを示す責任があると思いませんか?

もしそれを示せないなら、甘んじて抵抗を受け入れるしかないかも知れません。

「勉強したって、地位を得たって、お金があったって、所詮こんな人生か…」

子供はそう感じるでしょう。

自分の事を棚に上げるのが人間です。しかし、自分が言えた義理ではない、ということでもあるのです。

 

知らないことは伝えられない…

 

「あなたは理想を語っている。そんな幸せそうな人など存在しない!」

「私は騙されたんだ!こんな人だと思わなかったんです!結婚するまで分からなかったんです!夫に裏切られたんです!」

 

確かに、理想と現実はかけ離れていたり、勘違いのまま家庭を持つこともあるでしょう。

だからと言って、自分のパートナー選びの選択眼の低さや運の悪さ、あるいは幸せになることを諦めろと提示して何になりますか?

そんなことをしていると、子供がますます出来ない理由や言い訳ばかりを言うようになります。

 

もしかすると、それこそがご自身が置かれていた環境によってのものなのかも知れません。

自分に向き合うのは過酷だと言われます。子供のせいにして目をつぶって逃げることほど楽なことはないのです。

そして、こういうことは連鎖していきますので、どこかで断ち切る必要もあります。
親になったのなら、子供への責任を全うするべき
大人としての手本を示せ
 

しかし、これは理想論に過ぎません。

正論を言うだけなら誰にだって出来ますし、大切なのは実践方法であり有用性です。

この道理をすべての親が成し遂げらるのなら最初から問題はありませんが、その具体的な方法については学校や社会でも習うことはほとんどありません。

 

どうすれば、冷めきった夫婦間の確執を乗りこえられるか。

どうすれば、親自身の日々のストレスやコンプレックス、人間関係のイザコザを軽減できるのか。

実際に何をすれば、良き親として前向きな育児が実現できるのか。

 

これは、お分かりのように誰にでも当てはまるものなど存在しません。個人に合わせた完全なオーダーメイドが必要です。

なぜなら、家族や夫婦とは、複雑極まる人間の集合体であり、性格も価値観も環境も違う混沌としたものだからです。

誰でも、頭でわかっていても行動に移すとなると抵抗感を覚えるものがあります。

そんな「出来ない」提案や課題には意味がありません。

成果を挙げるポイントは、「今日から実際に出来ること」であり、そのための個人のライフスタイルの合わせた徹底したカスタマイズです。

その専門的な作業を総称して「心理援助(心理療法)」と呼び、その最先端にあるのが「短期家族療法」なのです。

 

もしあなたが親ならば、子供に伝えるべき社会性や対人スキルを自らが身に着ける方が近道です。

知らないことは、伝えられないからです。

 

もしあなたが子供ならば、親を責めたり自分を卑下するのではなく、状況を変える有効な手段を知る必要があります。

「こうなりたい」という、はっきりとした目的やニーズがあるなら、それを実際に手にしている人が「何をしているのか」を知ることです。

 

幸福も、自由も、愛情も、達成感も、それらを叶えた人たちのデータが収集されており、心理的にはノウハウ化しています。

ただし、それは誰にでも通用するものではなく、個人的な価値観や個性に沿ったものでばければなりません。

好き嫌いを変えることは至難の業であり、人柄や資質を変える事も非効率です。

だから、まずはあなたの話を詳しく聞く必要があるのです。

 

 

もし、ご自分の力で解決できないときは、心理相談へ。

 

 
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