共依存とは~「私を必要だと言って」

 

人は、一人では生きていけない

それが哺乳類の宿命だから

 

 

様々な理由と事情を抱えてライフスタイル(価値観)が育まれますが、複雑な家庭環境、愛情や承認に枯渇した成育歴、機能不全家庭、ネガティブな遺伝や障害などがあると、「生き辛さ」「自己肯定感不足」などの弊害が起こります。

しかし、時間の経過と共に耐性が生まれて慣れが生じ、成長して何とか大人になっていきます。

同時に、心の中の空虚感が埋まるかというと、それは簡単な事ではありません。

あるいは、気付かない様にしていても、ふと何かにすがりたくなるものなのです。

 

まずは、物や刺激。

これは、とても身近にあってすぐに手が届きます。

酒、ギャンブル、飲食物、買い物、セックス、ペット、ゲーム、ドラッグなどです。

過剰になると、〇〇中毒などという状態です。

しかし、これらによって埋め合わせようとすると、まるで乾いた砂が水を吸収するかのようにあっという間に枯れてしまうのです。

そして、「もっと満たしたい」「乾きたくない」という継続的な欲求から依存傾向にもなります。

 

これらの物質や行為への依存以外で、特定の人を対象とするものを「共依存(関係)」と呼びます。

まずは、異性間です。

心に空虚感や傷を持った者同士が巡り合うと、強く惹かれ合います。

「この人となら、気持ちを分かり合えるのではないか?」

しかし、これは寂しい内面を埋めるための関係なので、とかく傷つけ合ってしまうのです。

些細な事でも主導権を奪い合う事態となります。

「なんで、こんなことするの!」

「うるさいな!お前こそ!」

「もうやめてよ!」

「なにもわかってないんだよ!」

周囲は、別れろとか付き合うなとアドバイスしますが、一向に別れません。嫌、別れられません。

なぜなら、自分に似ている「寂しさ、悲しさ、心の傷」を持っているからです。

殴られても、暴言を吐かれても決して別れないDVカップルなどが代表的です。

経済的な依存もありますが、「この人を支えられるのは自分しかいない」などという使命感を抱くのも特徴です。

別れて子供や親に迷惑を掛けられないとか、恥をかきたくないなどという意味付けも同じです。

本当は、そんなものを見せられる周囲の方がよっぽど迷惑なのにも関わらずです。

ごまかしていても、その空気感はきっと伝わります。

男性も、仕事をすぐに辞めてギャンブルや酒に溺れ、浮気をし、嘘や暴言を吐きつつも、必ず女性の元へ戻ってきます。

「こんな自分を許し、受け入れてくれるはず」という依存心です。

お互いが、「こんな自分の傍にいてくれる唯一の人」だと認識しますので、どんなに求めるものが埋まることが無くても、お互いに傷付け合っても、それでも共にいるしかないのです。

結局人間は、自分に釣り合う相手や気持ちを分かり合えそうな存在を無意識的に選んでしまうものです。

病的な相手を支えることも、問題や障害を抱える人に尽くすことも、そこに自分の存在意義を満たそうとする背景が強ければ、共依存的だと言えます。

これは、医療、介護福祉や、何らかの援助職に携わる方にも多く見られる傾向です。

 

お互いの傷を舐め合える存在には、魔性の魅力が生じます。

ここに、初めて自分にしか出来ない役割が生まれますので、この感覚に傾倒してしまうのです。

例を挙げると、リストカットや自死を匂わす彼女を優しく支える彼氏や、働かずにゲームをしている息子の世話をせっせとする母親などがそれです。

彼女の肩を支えながら、彼氏が言います。

「大丈夫だよ。いつでも俺が傍にいるだろ…」

息子の食事を運びながら、母親が言います。

「少しは食べないと、体に毒よ…」

これは、共依存関係の鉄則で、支える側が求めているのはこのような「自分を必要としている対象者」なのです。

その証拠に、この女性が自立を仄めかした途端、「もう俺は必要ないね」と言って去っていったり、息子に好きな女性が現れた途端、「お母さんは反対よ」などと批判するということは良くあります。

唯一とも言える生き甲斐や大きな存在理由が無くなると、どうしても不安になってしまうのです。

 

このような背景から、一時の幸せな状態は得てして永続しません。

大抵は、どちらかが疲れ果ててしまいます。

カップルの場合、捨てられた側は寂しくてストーカーになることもあるでしょう。

 

共依存夫婦に変化が生じるのは、子供が生まれたときです。

寂しい女性は、子供や育児に依存しがちなのです。

夫との関係が疲れ果てていたり冷え切っていると、その焦点は我が子に向かいます。

「この子を育てることが自分の役割だ」

母親という新たな存在意義の登場です。

しかも、自分のお腹を痛めたという絆も深く、援助無しでは生きていけない幼子はある種の支配下にあります。

この点、身勝手でコントロール出来ない夫とは雲泥の差がありますし、思い通りの自分色に染められるかもしれないという期待も込められます。

「夫のことは、もうどうでもいい。私はこの子のために生きている!」

自分の生い立ちの反動のように様々な習い事や多くの体験をさせたり、「愛情」という名の干渉と甘やかしで拘束し、がんじがらめにしたりもします。

我が子というのは、実に依存しやすい対象でもあるのです。

そしてその姿は、一見愛情深い母親にしか見えません。

そして、思春期を迎える頃になると、そうされてきた子供は根拠のないプライドだけが肥大化し、繊細で行動力の無い大人予備軍となっています。

その実態は、対人スキルや社会適応力に欠けた、口だけ達者な大きな幼児のような存在なのです。

彼らは様々な問題行動を起こしつつ、自立することは困難になります。

傷つくことや否定されることを極端に恐れるからです。

モンスターペアレントの傾向がある方には特に申し上げたいのですが、学校に限らず社会生活で誰かと衝突することや意見が食い違うことは避けられません。

自分の正論は、相手にとっての邪論でしかありません。

子供がそういったトラブルに直面したときに親が首を突っ込み過ぎると、対人関係における問題回避能力が育まれません。

何か問題が起きる度に親の力を頼るようにさえなりかねませんし、例え我が子を守るためだったとしても、周囲はそれを肯定的に見てくれるとは限りません。

「あの子は、親の力なしでは問題を乗りこえられない」

「モンペクレーマーの子」

「あの親にしてこの子あり」

それは、結果的に我が子の立場さえ脅かしてしまいます。

その行動が相手や周囲にどう影響し、どのような結果となって帰ってくるかを推測することを「相互作用の見立て」と言いますが、とても難解なものであると共に、これを意識するかしないかで大きな違いになってきます。

とかく、苦しみが深かった人ほど、我が子の苦しみに目をつぶることが出来ません。

自己を投影するからです。

間違わないように、
失敗しないように、
負けないように、
後悔しないように、
苦しまないように、

何事も力を貸し、手を出し過ぎるのは、せっかくの成長のチャンスを刈り取ってしまう行為だと言えます。

良かれと思っての行動が、本当に良い結果を生むのかを冷静に観察してみてください。

 

子供への過干渉の行く末は、パラサイトシングル、高齢ニートとその親の「老々介護」へと繋がります。

ある年老いた婦人がポロリと言った言葉は、「思えば、こうして我が子(四十代ニート)と水入らずで暮らせるのは有難いことです」でした。

夫と不仲だった寂しい人生を、子供で埋め合わせるようで悲しいものがあります。

反して息子は言うのです。

「こっちはこんな人生望んでないんだよ!」

とかく世論は問題をすり替えますが、火のないところに煙は立たずで、子供というのは親や環境の影響を受けた末端の存在に過ぎないのです。

過干渉は虐待であると言われるのも頷けます。

 

さて、しかし共依存は本当に危険な関係でしかないのでしょうか?

寂しくて、心の傷を舐め合うことは恥ずべきことなのでしょうか?

ある種、人は何かに依存して生きている存在だとは言えないでしょうか?

 

そもそも日本は、エネルギーや食糧の自給率が低く、ほとんどを海外に依存しているのです。

何物にも頼らない自立した生き方など、ほとんど不可能に近いでしょう。

ポジティブ変容へのポイントは、第一に「意識化」だと言えます。

まず、子供との共依存関係は、相手の幼さから完全なアンフェアです。

彼らの未来を思えば、親側から呪縛を解く必要があります。

四六時中彼らの事が頭から離れないとか、あれこれ心配してしまうとか干渉が止められないと思っていたら、冷静に自己分析してください。

「自分と子供は共依存関係かも知れない」

次に、「自分も親との共依存関係が無かったか」も調べます。
「自分は親に褒められたか」
「一人の人間として考えを認められたか。肯定されたか」
「親同士の調和が取れた温かく和やかな家庭だったか」
 

このように意識化し、自分に向き合うのです。

次にパートナーや夫婦の関係に溝がないかです。

本来、信頼し支え合うはずの関係に亀裂があると不安感は増していきます。

まずは、会話を持ち掛ける勇気を出し、一緒に何かを共有するのがコツです。

散歩でも、映画でも、外食でもどんな些細な事でも良いと思います。

ある奥様は、「夫は夜遅くまで仕事で、帰ってきてもすぐに自室に籠って私の事を無視していますから無理です」と仰いますが、旦那さんが好きでそんなことをしていると思うでしょうか。

もしかすると、奥様が思っている以上に孤独なのかも知れません。

「自分は、誰のために働き、何のために頑張っているのだろう…」

目的を見失えば、暇つぶしにネットサーフィンやゲームでもするしかないのかも知れません。

 

まず、得ようとしたり見返りを求めるのは奪う事と一緒です。

「こんなにしてあげたのに…」

「皆の為と思って…」

この時点で、押しつけがましく、「もっと期待に応えるべきだ」「恩に報いるべきだ」というメッセージが込められます。

反応は大抵、「やってくれなんて一言も言ってない!」「そっちが勝手にやったんだろ!」などでしょう。

このように共依存は報われません。

相手から得よう得ようとしているからです。

つまり、奪おうとしているから嫌悪や抵抗という反応が返ってきます。

自分のしたことを、存在を、

「認めてほしい」
「大切にしてほしい」
「愛してほしい」
「〇〇であってほしい」

これらは全て受け身だから、待ちの姿勢でしかないからいつまでたっても得られません。

 

自分は寂しさや悲しさ、心の渇きを実感している。

コンプレックスやパートナーシップに困難を感じている。

それを〇〇やパートナー、育児で埋め合わせている。

 

このように気付けてこそ、次の「行動変容」が起こります。

お勧めは、最初から与えてしまうことをするのです。

こうしたらうれしいだろうなと思うことを一方的にする。ある種エゴイスティックです。

そもそも期待が無ければ落胆もしなくて済みます。

もしお礼があったら、それはそれで儲けものです。

 

私の知人は共依存カップルでした。

常にいざこざが絶えず、時に暴力による争いに発展することも少なくありませんでした。

そして、支えられる側と支える側に別れて、お互いの存在意義を確かめているようでした。

「君は、ぼくを必要としている」

「あなたは、私を分かっていない」

それでも家族として身近にいて、時に争い、そんな暮らしをしていました。

 

いつにも増して激しい言い争いをした夜、幼い子供と共に川の字で眠る妻を目にして、なぜか別の感情が沸き上がりました。

顔を合わせば言い争いが絶えない二人です。しかし、それでも家族のためにせっせと家事をこなしてくれているこの女性…。

自分の妻であり、子供たちのお母さん…。

彼女はこんな人生を歩みたかったのだろうか?

「それでも、君に感謝している」

でも、その想いを口で伝えることには抵抗感がありました。

そして、眠っている妻の布団から出ている手をそっと握ったのです。

すると、不意に明らかに握り返すような感覚がありました。

『あれ?起きてたのかな?』

しかし、どうやら眠っている様子です。

そこで、しばらくの間、家事や育児で疲れたその手を握り続けました。

すると今度は、妻の目尻から涙が流れ出したのです。

それは頬を伝うほど、はっきりとした落涙でした。

『おや?やっぱり起きてるのかな?』

しかし、妻は目を閉じたまま身動きもせず、やはり眠り続けていたのです。

 

翌日、何となく彼女に問いかけたそうです。

「昨日の夜、俺が寝た時のこと覚えてる?」

妻は全く気付かなかったという事でした。

それ以降、彼女の情緒は日増しに穏やかになっていったそうです。

 

彼の感謝の気持ちは、言葉ではなく行動によって伝わったのかも知れません。

その一件は、彼自身の中にも何か感じ入るものがあったようです。

それ以降も形を変えて妻に感謝するようにしたことは言うまでもありませんが、彼の最初の行為は暗示的なものでしかありませんでした。それでも何かが伝わったとも言えますが、このような現象は良く見られるものです。

 

たとえ共依存から始まる関係だとしても、人間には学習と成長が約束されています。

空虚感や寂しさを感じたら、近しい誰かに感謝を伝えてみることをお勧めします。

 

 

それでも自信が無ければ、心理相談へ。

 

 
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