不登校、ニートに共通する家庭環境とは

不登校は社会問題だとされますが、確かに相談件数が増えています。

お子さんが学校に行きたがらないとなれば、まずは何が理由なのかを探そうとするのではないでしょうか?

それがそもそもの間違いです。

良くある理由付けが、何かしらの問題やトラブルが発生したことによるものではないか、というものです。

トラブルと言ってもピンからキリまでありますが、いじめや暴力などでなくとも、集団の中では多少の衝突やいざこざは決して避けられるものではありません。

「そんなことは百も承知だけど、うちの子に限っては相当なトラブル(被害)に遭ってて、問題は深刻なんですよ…」

あるいは、

「元々うちの子は、優しくておとなしい子で…」
「多感で敏感な反抗期で、人一倍感受性が強くて…」
「人見知りで、あまり自分から話しかけたりするタイプじゃなく…」
「発達の障害があるような…」

学校に行けない理由付け、意味付けは、このように多岐にわたるでしょう。

最近の世情を映すのが、母子家庭やステップファミリーにおける、「辛い思いをさせてしまった…、寂しさを分かってやれなかった…、愛情に飢えているんじゃないか…」など、家庭の事情によって気力が無くなっているのではないか、というものです。

理想的な環境で育児が出来なかったという後ろめたさもあったりすると、腫れ物に触るような関わり方になり、ますます長期化が予測されます。

このような場合、とかく被害者と加害者に分けられ、当然被害者側が心に傷を負い、カウンセリングにやってくる…という構図が見て取れると思います。

さて、ではこの“心の傷を癒す”とはどのような行為なのか?

「とても辛かったね…。よく頑張ったね…」
このような受容と共感、傾聴が役に立つという考え方があります。
優しく寄り添って、相手を労わる…。これが一般的なカウンセリングだと思われるかも知れません。
しかし、こういったスタイルだと基本的に聴くことに時間が割かれてしまうことや、物足りなさを与えてしてしまう恐れもあります。
更に、状況を深刻に受け止めて「様子を見る」とか、「刺激しないように」などが必要だとされることも多く、最悪の自死を避けるためにも、決して追い詰めないことが求められるとされます。

そうして、私が受け持った最も長期化した方たちの中には、小中学生の時にひどいいじめに遭い、そのまま不登校となってニート生活となり、三〇代~四十代を越えている方もいます。

その方々は、青春の大半を自室に閉じ籠って過ごし、外の社会とは隔絶した状況で生きてこられたのです。
ご両親も「深刻ないじめの被害者」であるご子息の生活を何かと気遣っていますし、本人が欲しがるパソコンやスマホなどを買い与え、少しでも早く自立できるようにとカウンセリングなどにも連れて行っています。
さて、果たして彼らの負った心の傷は、いつになれば癒えるのでしょうか。

そこまでではなくとも、その予備軍のような少年少女が後を絶ちません。

状況の違いはあれど、彼らには共通することがあります。

語弊があるのではっきり申し上げられませんが、一言で言えば家庭環境の類似性です。

これも、百も承知かも知れません。

もっとも、理想的な家庭環境など夢のようなものだったりもしますが、少なくとも身寄りもなく風雨に晒されて食べる物も無く飢えている、というような状況の方は一人もいません。

働かずとも自分の部屋があり、電気や水道が自由に使え、おまけにパソコンやスマホが与えられていたりします。
更に言うならば、こうしてカウンセリングに通わせてくれてもいます。

もちろん、それ自体が甘やかしているとか贅沢だというのではありません。

親御さんたちも、そこまでには相当な格闘と争いを繰り返し、自死をちらつかせる言動や、家出や警察沙汰などの果てに行き着いた結果なのです。

ただし、このような生活が長く続くと、ある日を境に急に元気になって働きだすとか、進学するために勉強に精を出し始めるということは起こりづらいでしょう。

様子を見続けて刺激しないでいたら、いつの間にか幼かった少年は中年の男性になっていたのです。

お父様方はこの現状を憂いて、いよいよの奥の手ともいうべき施設への強制入所などをもくろんだりします。

すると慌てたお母様は、何とかしようと藁をも掴む思いで短期家族療法を受けに来られたりするのです。

ある、四十代に差し掛かって見た目にも貫録を帯びたニートの男性は、嫌々連れて来られたということで初めからカウンセラーを敵視している様子でした。

恨みに満ちた暗い目で彼は言い放ちます。

「俺は、ダメな親による犠牲者だ。わずかな遺産と年金を食い潰し、こいつらが死んだら後追い自殺する」

なるほど。そこまでの覚悟であり、先を見越しての現状なのでしょう。

その言葉を聞いた時の老年の母親が見せた涙は、非常に重く、落胆と自責の念に満ちているように思われました。

このお母様は、これまでも長い家族問題の中で疲弊され、近隣や周囲からの「目に見えぬ差別」との戦いにも打ちのめされていたのです。

「あそこの家庭は何か問題がある」「働かない病的な息子がいる」「近所にいて欲しくないし、付き合っちゃいけない」

更に親類や身内までが、こう言うのです。

「育て方を間違えている」「親がしっかりしていないから」「躾が出来ていないんだ」

もう、誰も自分の味方ではない…。

こうなると、カウンセリングを受けるべきなのは母親だという論調もあるでしょう。

 

さて、彼を変えることはできるのでしょうか?

出来ます。

方法については、とても専門的なものになりますが、30分もあれば少なくとも3~4種類の解決策は見立てることが出来ます。

そこで一般の方が頭に浮かぶのは、「催眠療法」で暗示を掛けたり、「認知療法」などで意識や精神に働きかける、などという想像ではないでしょうか。

違います。
なぜなら、それらは色々と検証しているうちに時間を費やしてしまうだけでなく、そもそも当の本人がそれらを拒否しているのが常なので、合理性が非常に低いからです。

長期間患ってきた“心の傷”問題も、ここでは触れないで進めたいですし、もはやそんな昔のことを蒸し返されるのも嫌気が差すはずです。

不登校の発端とは、自分の周囲にいる人が必ずしも好ましい人ばかりではないという現実と、もし、気が合わなかったり、ぶつかったりしたときに何が求められるのかという問題回避の必要性です。

どんな場所でも、すぐに馴染んで友達を作るのは、きっと偶然やまぐれではなく何らかの方法があるはずです。

それは、社会性=コミュニケーション力だと言えます。

それを直視せずに家の中に逃げ込んでしまうと、何も変わらないまま時間だけを費やすことになりかねません。

初めは子供ならではの「言い訳」や、もしかすると「わがまま」なども、その深刻さと意味付けに拘束されると、出口の見えない堂々巡りに陥ってしまうでしょう。

 

私は男なので、生みの苦しみも、そして喜びも経験できません。

ですから、そういった「お腹を痛めて産み出した我が子」という感覚は想像でしか感じ得ません。

そして、手塩にかけて温かい愛情で育て上げていく…、母親というのはとても尊い、有難い存在です。
本当に頭が下がります。

確かに、学校だけが大切でも、進学や集団生活に馴染むことだけが全てでもありません。

しかし、そのことにお子さんがもがき苦しんでいたとすれば、いつまでも現状維持だけではいないでほしいのです。

叱っても、責めても、あらゆる手を使ってもダメなら、それ以外の方法を取って頂きたいのです。

我が子を思う愛情あってのものでも、結果に繋がらない努力は報われません。

 

親の真の責任は、償いでも長期にわたって“心の傷”を癒してあげることでもなく、どんなことがあろうと立ち上がって自分の足で歩いていく自律心を伝えることではないでしょうか。

誰の力も借りず、あるいは上手に協力し合って、仕事をしてご飯を食べて生きていく。

これについては、親自身がやり方を認識していなければ子供に伝えることはできませんし、それを知らないことが罪なのでもありません。

初めから育児のベテランなど存在しませんし、親というのは、子供を産んだ時点でゼロからのスタートなのです。

もちろん、すでに本人との信頼関係が崩壊していたり、こちらの話に聞く耳を持たないところからでも心理的な対策を講じることはできます。

しかも、なるべくなら時間と費用をかけない方法で。

出来る限り抵抗を少なく、労力も小さく、それでいて出来るだけの変化を起こす。

これが、短期家族療法のスローガンです。

 

(注)守秘義務厳守から、情報に個人特定できないよう配慮してあります。

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短期改善こそ、真のホスピタリティ

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