75年の研究で解明された「幸せ」の正体とは

75年の研究で解明された「幸せ」の正体とは
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おもしろき こともなき世を おもしろく   高杉晋作

 

 

生命は生かされている

様々なお話を伺う立場から、思うことがあります。

結局、なぜ人間はこんなに頑張って生きているのか?

それは、まず「生かされている」からだと言われます。

身体は、血液や臓器などそれぞれの機能が連携している限り活動は止まりません。つまり人間は、生命機能が壊れなければ文字通り「生かされ続けている」存在です。

生きることそのものに様々な意味を見出すのは個人の価値観ですが、病気や障害に関わらず何もせずに生きていることに意味を感じる人は少ないでしょう。
きっと何かをしたいと思うはずで、これが欲求です。

 

欲求の危険性

ではなぜ欲求を持つのかというと、生物には種の繁栄や生命の維持をあらかじめプログラムされているからです。
人間の場合、広い意味で幸福感及びそれによって生み出されるホルモン等を求めるが故だと言えますが、より良く生きようとする時に発生するそれら物質は脳内で分泌されます。

ドーパミン(意欲、快感)、セロトニン(安定、安心)、オキシトシン(調和、安らぎ)、エンドルフィン(多幸感)などがそれで、これらの物質が幸福や充実という感情の源になっています。

さて、これらの「幸福ホルモン」ですが、カナダでの実験でとても恐ろしいことが確認されました。

ラットの脳に電極を付け、自分でレバーを押すとドーパミンが放出されるようにしたところ、餌も食べず水も飲まず、生殖行動にも興味を示さず、延々とレバーを押し続けました。
それは何と、電流で大やけどをして動けなくなるまで続いたのです。



 

これは、「快楽の依存性と危険度」を如実に物語っています。
我々の業界で言えば、アルコール、ギャンブル、セックス、ストーカー、ネット、ゲーム、買い物、薬物など、社会問題となるものが多く含まれます。

この実験は、現在では考えられませんが人間でも形を変えて行われ、同様の結果になりました。

非生産的でインスタントに得られる快楽は真の幸せではなく、人間を破壊しかねない魔性の物なのです。

 

幸せの6つのレベル

では、「幸せである」という状態にどのような区別があるのでしょうか?

A・マズローによれば、人間の欲求は五段階に分かれていると言います。
後にもう一段階が加わり、六段階になりました。

 

下から順に、
1、生理的欲求 (飲食、睡眠、種の繁栄をしたい)
2、安全の欲求 (安全な生活がしたい)
3、社会的欲求と所属と愛の欲求 (社会から必要とされたい。愛されたい)
4、承認(尊重)の欲求 (人から認められたい。尊敬されたい)
5、自己実現の欲求 (自分の能力を発揮し、望む姿になりたい)
6、自己超越の欲求 (自己を越えた貢献や没入感)
となっていて、基本的には下から順に満たそうとする傾向があるようです。

確かに、「衣食足りて礼節を知る」の言葉通り、生活に困らなくなってから社会性や道徳感などに考えが及ぶものです。

ご相談の中に、「明日の食事に困っている」とか、「家が無くて辛い」というものはありません。
しかし、その上の「誰かとの関係性」からがほとんどの悩みの中心となってきます。

現代社会において、地域や集団に属し、誰かから必要とされ愛されているだろうか?という領域になると、多くの人が不安や満たされなさに悩んでいるように感じます。

昨今、SNSやブログ、動画サイトなどで自己表現をする人やそれに反応する人たちが増えていると思いますが、これも「誰かと交流したい、繋がりたい」という欲求故でしょう。
つまり、多くの人が交流することに飢えているようです。

人間の特性上、孤独にとても弱いことが分かっています。

また、口では「充実した毎日を送っている」と言っていたり、写真などで華やかで素敵な光景が映されていたとしても、実際の人物からはそのような様子が伺えなかったり、様々な点で確証が感じられないものです。
むしろ逆に、「幸福であることをアピールしなければ…」という強迫感さえ伝わってしまいます。

確かに美味しい料理を食べ、綺麗な景色を見て、素晴らしい経験をすれば一時の充実感が満たされます。しかし、そんな日々があったとしても、また不安や悩みを抱えてしまえば低い欲求階層で右往左往してしまうでしょう。

オキシトシン、エンドルフィン系のホルモンは、他者との安定した関係があって初めて分泌されます。
それが満たされないと、より強い快刺激を求めて彷徨うことになったり、先ほどのラットと同じで中毒状態に陥ってしまうかも知れません。

 

幸福感の追跡調査

「人間の幸福と健康」についての、ハーバード大学での研究結果があります。
これは、1938年から75年間にも及ぶ、史上最も長い「幸福感」の追跡調査で、724人の男性を十代から老年まで追い、彼らがどのような生活をしているかを記録したものです。

対象者は、ハーバードの2年生とボストンの貧困層から選ばれ、環境や能力、学歴、健康状態もランダムな状態からスタートしました。



 

約60名が未だ健在で、ほとんどが90歳代となり、彼らの2,000人以上の子供も研究に参加しています。
その一人一人の生活や健康診断の記録を取り、彼らの幸福度について長期に渡って調査し続けました。

その中には、劣悪な環境から成功を収めたものや大統領にまで昇りつめた者がいたり、その逆もありました。

 

幸福と健康に深く関わっていたもの

そして分かったことは、とても象徴的でした。
幸福で健康な人生を生み出すものは、豊かさでも地位や名声でもなく、また懸命に働くことでもなく、「良い人間関係に尽きる」という結論だったのです。

孤独な生活を送る人は、老化が進み、脳機能が早期に減退し短命となることが分かりました。
それは、結婚していてもパートナーがいても、関係性が冷淡だったり嫌悪の対象であれば、むしろ離婚よりも悪影響でした。
どんな状況であれ、孤独は命取りだったのです。



 

逆に、家族、友人、コミュニティでの良好な人間関係を築いている人たちは、健康で活き活きとしており、文字通り幸福感を得ていました。

マズローの言う、社会に属し、必要とされ、愛されているということは、健康であることにも深く繋がっていたのです。

また、年を取っても生きがいややりがいをもっている人は更に幸福度が強く、身体的苦痛さえも乗り越えていました。



 

目を逸らす心理

しかし…、「誰かと深くパートナーシップを築くことは幸せに繋がる」。こんなことは古い本にも繰り返し書かれていて、全く新鮮味がありません。

確かに人間関係やパートナーシップは、私たちの一生のテーマです。

とても面倒で、コントロールし難く、なかなか手に入りません。

また、正しいことや正論は、とかく地味でつまらない色褪せたものでしかありません。
逆に、一時の快楽ほど手軽で刺激的なものはないのです。

特に若者たちは、青春という人生の一時の中にいます。

彼らが享楽的な日々を送り、高収入や高学歴を望み、タワーマンションに住むことや、「表面的には」素敵なパートナーと愛を語り、優雅な暮らしを送りたいと思うのは無理もありません。



 

昔、3Kといって、高身長、高学歴、高収入の男性と結婚することが女性の理想とされた時代がありましたが、おわかりのように肝心の性格や人間性といった中身については無視されています。

後に、これらの物差しで選んだパートナーとの生活に虚しさを感じたりするのは自然だったでしょう。

立派な家で美味しい食事を前にしても、それを好きでもないパートナーと共にするのは苦痛にもなります。

また、若いというだけでなく、肩書や高いステイタスを夢見ることや、間違ったパートナーを選んでしまうこと自体は、決して珍しくはないでしょう。

簡単に手に入らないものほど、無意識に拒絶したり目を背けたくなるものなのです。

 

不完全を認め合う

あるいは、早々にその困難を拒絶する生き方もあります。

私は若い頃、人間関係を煩わしいと思い、田舎暮らしをしようと試みたり自然相手の仕事をしたいと考えました。
遡ると十代のころからその傾向があって、人混みや雑踏を避け、群れることを嫌っていました。
でも、常に寂しや虚しさを心に抱え、それをアイデンティティとして「これが新しい時代の生き方だ」などと強がってもいました。

「人と繋がれない劣等感」を直視しないようにしていたのです。

そういう意固地さは、「プライド」という化粧をしてどんどん強くなっていくものです。

変われたのは、数名の恩人のお陰です。

信頼し認め合えた人たちの存在です。

ハーバードの研究者も、関係性は「量」ではなく「質」が重要だと言っています。

友達が沢山いることや、SNSのフォロワーが何万人もいるというのではなく、私たちにはたった一人の深い理解者が必要なのです。

表面的な「綺麗な部分」での付き合いではなく、逆に「マイナスな部分」を認め合い、一緒に居てくれる誰かです。

人は不完全です。だからこそ、アンビバレントな、「ネガティブを許し合える」という存在が必要なのかも知れません。

 

成功者の遺訓

多くの尊敬を集めるアップル社のS・ジョブスは、癌に犯された死の間際、その華々しい成功者としての人生を振り返って言いました。
「私の人生は、仕事では成功したが喜びは少ない人生だった」
そして、後世に伝えたメッセージは、
「あなたの家族、パートナー、友人のために愛情を大切にしてください。
そして自分を丁寧に扱ってあげてください。
他の人を大切にしてください」
というものでした。

実業界のカリスマが残した言葉は、身近な人や自分自身への後悔の念だったのです。



 

あれ程の人物が成し遂げられないくらい、このテーマは簡単なものではないということでしょう。

しかしまた、これ以上の努力に値するものは他にないのです。

 

私たちは、選択に迫られています。

死ぬまで表面的な快楽に溺れるネズミでいるのか?

それとも、地味で困難な本質の道を歩くのか?

それを選ぶ自由はありますし、間違いの修正はいくらでも可能です。

 

どちらにすればいいのかに迷ったら、是非相談にお越しください。

 

 

記事を書いた人 Wrote this article

Kondo

短期間で改善を起こす、ブリーフ・サイコセラピー派の心理師。 あらゆる問題の解決事例を持ち、超合理的に結果に導く。 臨床から産業、教育分野まで、幅広い実践経験を持つ。 専門家からの相談を受けるマスター・カウンセラーである。

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