離婚原因一位が「性格の不一致」な理由

離婚原因一位が「性格の不一致」な理由
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日本の離婚率は35%くらいです。
つまり、生涯のうちに三組に一組は離婚しています。

だから珍しくもありませんし、その分シングルマザーも再婚者も多いのです。

そして、仕事柄これらの方のお話を聞く機会が極めて多いと思います。

 

出会いは奇跡。別れは自然

LGBTの性的マイノリティの方もいらっしゃいますが、カップリングでは「誰かが誰かを選ぶ(好きになる)」までは一致しています。

人と人の出会いは本当に奇跡的な偶然の産物で、例えば、有給の消化で行ったマイナーな海外旅行先の誰も行かないような僻地のレストランで、たまたま隣に座った相手、とか、地元を離れて何年も経って、出張先の田舎町の駅のホームで偶然再会した、名前も知らない学年違いの後輩、とか。
その出会いの確率は天文学的産物とも言えるでしょう。



 

「あの…、日本の方ですか?」

「あ!船橋の西高校でしょ?」

…そして恋が始まる。

運命は実にロマンチックです。

しかし、別れの理由は案外同じ。

「性格の不一致」です。

そして、2位以降も突き詰めれば、同じく「相手が嫌になった」という事です。

 

思えば、生まれも育ちも環境も全く違う者同士、初めから性格や価値観など一致する訳がありません。

結婚して間もなく、色々と「こんなはずじゃなかった」が起こります。

「えー、変わってる!この人、こんな事するんだ。気持ち悪い…」
「思ったより可愛げ無いんだな…。チェッ、がっかり」

のような期待感の消失が深まり、

「なんで、こんな頭が固いのよ…。もう、嫌だ…」
「なぜ、俺を否定するんだ…。どうして文句ばっかり言うんだ…」

「私の気持ちを何にもわかってない!」
「俺がどんな思いで働いてると思ってるんだ!」

…そりゃそうです。
時間の経過と共に、当たり前に起こる言い争いであり、それぞれに一理あるのです。

ご夫婦の間に立って両者の言い分を聞けば、簡単に「善悪」の判断などできるものではありません。

 

価値観とは、思い込み

では、ここまでぶつかり合って一致出来ない「性格」とは一体何か?
「価値観」とは何なのか?

それらは、その人が何を選び、どう行動しているかに尽きます。

 

テニスをしにコートに出かけ、そこで出会った女性に声を掛けて親しくなってお茶に誘う。
この人は、これを選んでこう動いた。それだけのことですが、この一連に意味付けがなされるのです。

「活発で社交的」とか、「飢えたナンパ師」とか。

 

一方、仕事帰りにマンガ喫茶に行って、ホラーマンガを四時間読んでいるとします。
この意味付けは、「暗くてキモイ」とか、「リフレッシュ上手」など。

 

これは、それぞれが下した勝手な意味付けでしかありません。

このように、人は自分の偏見や色眼鏡でしか現実を見ることが出来ないのかもしれません。

絶対に譲れない、間違いなく正しく価値あるもの…。それだって誰かにとっては無価値でつまらない、あるいは邪悪で下劣なものだったりします。

人は、誰かからそう教えられ、それを経験し、積み重ねていくにつれ、それを〇〇だと本気で信じ込んでいくのです。

そうなんです。
価値観とは、「思い込み」なんです。

だから、出来る限りそれが合っている人と居ると心地良い。

カップルだったら尚更で、それが一致していないと苦痛で仕方ない。

しかし、あらゆる思い込みから完全に自由になることは不可能です。

 

相手の思い込みを尊重する

「他人が決めたルールなど無意味だー!全てから解放されるべきだー!」と群衆に叫んだり、家族を捨てて、「俺は我が道を行くのだ」と、放浪の旅へ出ればどうなるか、明らかな事です。

個人個人の全く一致しない性格や価値観を一致させるのは至難の業。
だから、「この辺で手を打ってはどうか」と、多数決で決めたのが法律というルールでしょう。

「人を殺すのはおそらく嫌がる人が大多数だから、やっちゃ駄目ってことにしよう」
「もし、やっちゃったら誰もいない無人島に流してしまおう」

こんな感じでしょうか。

しかし、家庭内にそれがあると窮屈で仕方がありません。

そして、無法地帯と化します。

夫の汗水流して働いた給料が、妻のヴィトンの財布や高価な美容液に変わり、妻が火傷をしながら作ったシチューを、夫はスマホゲームをしながら食べる。

あるいは、夫のお気に入りのワインレッドの遮光カーテンが、ある日、薄緑の水玉のカーテンに変わり、妻がプレゼントしたガラスの写真立てが、突然、最新のデジタルフォトフレームになっています。

話が逸れたようでいて、本質を突きたいと思います。

相手の思い込みを尊重できる(流せる)人は自由。

何事も、不自由より自由の方が幸せですね。

 

精神的な自由=幸福

良く考えてみれば…、春だし、薄い生地のカーテンは季節に合っている。
しかも、背の低い彼女が自分で取り換えたのか…。
そもそも、カーテンって結構重いはず…。

そうすると、家の衣替えを考え、どこかの家具屋にでも行って買い物をしてきて、男の力を頼らずに一人でせっせと物置から重い脚立を出してきて、危なっかしくカーテンを取り換えている妻の姿が見えてきます。

 

「お前、良く一人でカーテン替えられたな。脚立の場所知ってたんだ?買ってくるの重かっただろ?」

家の事は私に任せっ放しだと思ってたら、意外とインテリアとか見てたんだ…。
仕事で忙しいはずの彼が、帰宅後遅くまでパソコンにかじりついていたのは、もしかして…。
よく見たら、子供の写真だけじゃなく、結婚前の写真まで選んである…。

そうすると、家の中にも気を配り、自分が写真を飾ることが好きなことも承知で、わざわざネットショッピングで最新型のフォトフレームを買い、沢山の写真の中から時間をかけて選んでくれている夫の姿が…。

 

「これ、便利だね。思い出の写真を全部飾れるってことだもんね」

 

思いやりとか、優しさとか、気遣いが大切、とか言います。

そもそも、それらは定義がなく、別々のものをそうだと意味づけているだけです。

そして、自分の思い込みを他人に押し付けると、抵抗が起こるのは当然ではないでしょうか?

自由(思うまま)=幸福

不自由(思い通りにならない)=不幸

ぜひ、精神的な自由を獲得して頂きたいと思います。



 

え?そんなの一番不自由だって?

…所詮、システムセラピーの価値観(思い込み)です。

 

事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。
フリードリヒ・ニーチェ

記事を書いた人 Wrote this article

Kondo

短期間で改善を起こす、ブリーフ・サイコセラピー派の心理師。 あらゆる問題の解決事例を持ち、超合理的に結果に導く。 臨床から産業、教育分野まで、幅広い実践経験を持つ。 専門家からの相談を受けるマスター・カウンセラーである。

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