エリート女性は、なぜ苦しいのか

エリート女性は、なぜ苦しいのか
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長かった男女差別の歴史

だから今こそ、男女平等を


男女雇用機会均等法などで、女性の社会進出が目覚ましいと言われて久しいですが、優れた女性たちの活躍を見聞きすることも当たり前になりました。

私の周りにも、高い地位や肩書を持っていたり、国家資格を持って責任ある仕事をしていたり、若くして多くの人を束ねるリーダーなど、輝かしいステイタスを持つ女性が何人もいます。

フェミニストを気取るつもりもありませんが、これが平等な社会であり、とっくに性別の差異など無意味な時代なのです。



そして、そういった女性たちのカウンセリングを受け持ってきました。

能力と幸福度は比例しない

残念ながら、「優秀である。仕事が出来る。有能である」と、「幸せである」は、必ずしもイコールではありません。

彼女たちにとっては、そもそも人の言うありきたりな幸福を求める気持ちなど塵もなかったりもします。

そして、その能力や実績自体が重荷にもなったりするのでしょう。

例えば、
「あなたなら、これくらいの事は出来ますよね(賢いんだから)」
「教えて下さい。力を貸してください(それがあなたの立場なんだから)」
「え?意外だな。こんなこと出来ないの?(能力あるなずなのに)」
等は日常茶飯事で、こういったプレッシャーや葛藤と戦うことになります。

また、何かと注目される彼女たちの周囲にコンプレックスや妬み嫉みの感情を抱く人がいると、それだけでも大きなストレスになるのです。

「かっこつけやがって」
「ふん!結構バカじゃない」
「お前なんか絶対に認めない」



当然、これらの感情とも日々対峙することが求められます。

どんなに強くて心が広くても、キャパシティーは無尽蔵ではないので、時折ため息をつきたいときもあるかもしれません。

仕事という逃げ場所

ある女性は言いました。
「私は仕事が生きがいです」
「今の自分に満足していません」
「これからもっとスキルアップしたいと思っています」
そうなんです。

彼女たちの向上心は、飢えと同じく満たされることがありません。
そして、時として仕事や活動というのは逃げ込める場所でもあったりするのです。

しかしながら、現場は戦場です。上司、顧客、依頼者の期待を欠けば、女性にも平等に容赦がありません。
「あなたには失望した」
「もっとリーダーシップを身に付けろよ」
「もういいです。二度とあなたと仕事をしません」
期待が高い分、こういった試練もまた、幾度となく訪れることでしょう。
「こんなの私がしたかった仕事じゃない!」
「こんなに頑張ってるのに!」
「体力的に無理だ…」
酷なことに、それが甘えだと言われるかも知れません。
悔しくて必死に頑張っても、報われないことの連続の中に身を投じています。
そして、益々強靭なキャリアウーマンへと成長するのでしょう。

精神的にも、男性的だったり逞しくなければとても乗り越えられません。

「海外で働いていた時が、一番自分らしくて自由でした」
「異性とか、恋愛とか、今は関心がありません」
「子供は生まないと決めています」
「結婚には向いていないタイプです」
なるほど。晩婚化どころか、少子化が加速するのも頷けます。

彼女たちにとっては、子供が産めることや男性と婚姻することすら求めるものではありません。
人によっては女性であるという事実など、♂♀のような記号でしかなかったりもします。

女らしさ=か弱さ、包容力、母性、可憐さ、繊細さ、みたいなことを見聞きすれば、セクハラだ時代錯誤だと激昂したりします。

少なくとも彼女たちの言葉として語られる自分の存在意義やポリシーは、「仕事」や「生き方」へのこだわりであり、そのプライドなのです。

誇りの先に待っているもの

プライド(誇り)。

譲れない。妥協できない。曲げられない。大切にしたい。絶対的な価値観。
それは誰にもあるでしょう。

だとすれば、それは相手にもあります。

誰かと一緒にいれば、それが一致することは難しく、どちらかが譲ったり認めたりしなければ大抵は衝突することになるでしょう。

その度に疲れますし、嫌気が差しますし、面倒臭くなりますし、うんざりもします。

だから、距離を取る、別れる、諦めるという方法も良く見られますが、どちらにしてもその先にあるものは何でしょうか。

確固たる自立でしょうか。

悠々たる一人暮らしでしょうか。

…そして、数十年後。

身寄りのない老人施設への入所が待っているのか。

子孫の無い方の墓地に眠ることになるのか。

ネガティブなイメージだけでなく、望むならば色々と選ぶことが出来ます。

パートナーとの生活。

晩婚で産んだ子供や孫に囲まれる暮らし。

結婚していない人同士で作ったコミュニティ。

親友とのシェアハウス。
「その時はその時で、どうにでもなりますよ」
「そういうことに全く感心ないです」
「孤独死一直線も覚悟してますよ(笑)」
本気なのかどうかは分かりません。そして、確かに刺激的な毎日を送っているようにも見えます。

人生の全責任は自分にある

仕事でも娯楽や快楽でも、目の前の刺激が強ければ強いほど、それに依存しがちなのが人間です。

話を聞けば、親に失望していたり、男性不信だったり、裏切られていたり、傷つけられた過去があったり…。認めてほしかった誰かに認めてもらえていなかったり…。

今を生きる花形職のキャリア・ウーマンは、そうやって満身創痍で立っています。

そうして、パニック、うつ、不眠、精神不安などに襲われてしまうことは本意ではないでしょう。

しかし、その症状が仕事や人生の邪魔をしているという認識は正解だとは思えません。

信じられないと思いますが、無意識が起こすことは、自らを助けようとさえしているのです。

「でも、もう後戻りなんて出来ない」

「私は、この生き方を続けるしかないんです」

事情は色々でしょうが、出来るなら同じ時代を生きるものとして、少しでも後悔のない人生を送って頂きたいと思います。

地位も肩書もステイタスも、本来の自分を表すにはふさわしくありません。

あなたらしさとは、そんな風に拘束されるものではないはずです。

ダメでも、弱くても、情けなくても、それでもあなたを受け入れて、本当に必要とし、心から愛してくれる人は誰でしょう。



そして、「生きる」とは、自分が選んだ全責任を取るということかもしれません。
(注)守秘義務厳守から、個人特定できないよう配慮してあります。

記事を書いた人 Wrote this article

Kondo

短期間で改善を起こす、ブリーフ・サイコセラピー派の心理師。 あらゆる問題の解決事例を持ち、超合理的に結果に導く。 臨床から産業、教育分野まで、幅広い実践経験を持つ。 専門家からの相談を受けるマスター・カウンセラーである。

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