やる気(モチベーション)を高める心理テクニックとは

やる気(モチベーション)を高める心理テクニックとは
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あー、仕事やりたくない。
学校、行きたくないなー。
家事も子育てもしんどい。
働くのも、生活するのも嫌な事ばかり。

これが、人生か・・・。



モチベーションとか、やる気、意欲という言葉があります。
仕事や勉強に集中して成果を上げる事が出来れば素晴らしい人生が待っている、というわけです。
しかし、高得点を取ったり出世すること=幸福とは限りませんし、ましてや一流企業、高所得、著名人=幸福とも限りません。
とはいえ、楽して遊んでいて幸福になれるかと言えば、それもまた疑問です。

現代の資本主義社会の中にあって、分かりやすい願望達成が幸福に関わっているという仮説から、「モチベーションを上げる必要性」についての情報が一部に広まりました。
実体の見えづらい“行動”に、キャッチーなキーワードを当てはめると、達成できたのは〇〇があったから!という図式が出来てしまうので注意が必要です。

今回は、よく目にする自己啓発的な「成功イメージ」や「自己暗示」ではなく、スピ系の「引き寄せ」とか「感謝と奉仕」などでもなく、最短で結果を出すという短期療法のプラグマティズムの観点からモチベーションをご説明したいと思います。




欲求が意欲を生む







そもそも、人は死ぬまで生かされ続けます。
どんなに死にたいとか人生を終えたいとか思っても、心臓は動き、呼吸は止まりません。
おのずと、お腹が空いてのどが渇き、生存欲求を満たそうとしてしまいます。
さらに、安全な生活を求めて、衣食住の質を高めようともします。
このように、安定した衣食住が維持できてはじめてホームレスから脱せるでしょうし、廃棄物や誰かの善意に依るところも無くなります。
安全の確保や生存欲求を満たすためのモチベーションが低いと、リスクも高く淘汰されてしまう可能性も高まります。

しかし、安定した衣食住=幸福というのも単純すぎます。

マズローの欲求5段階説によれば、
生理的欲求、安全欲求からさらに
「誰かと共存したい」という社会的欲求、
「人から認められたい」という承認欲求へと進み、
さらに「自分らしさを発揮したい」という自己実現欲求へと、5つの段階でつながっていくと論じました。
空腹時に美味しい食事にありつけるのも、やりがいのある仕事で大成功を遂げるのも、それらの欲求を満たそうとするときに、おのずと「やる気・モチベーション」が湧き上がるのだというのです。

そのほかにも、やる気に関する研究は、ハーズバーグの二要因理論やブルームの期待理論など、様々に発表されています。
脳神経科学的には、やる気ホルモンと呼ばれるドーパミンやセロトニンに関わっているとされ、少なくとも悩みやストレスを軽減させなければポジティブにはなれないといいます。



ドーパミンのトリガーとは何か







短期療法の視点では、例えば“やる気が出ない”と自覚する人が、例外的に頑張れている部分だとか、実は案外結果を出している点などを探します。
「これまでに実際にやれたこと」「努力できたこと」「継続できたこと」などに焦点を当て、逆になぜそれらに関してはやれたのか?を突き詰めていくのです。

学校へ行かないでぐうたらしている学生が、なぜか戦国武将の歴史や知識に関しては人一倍よく知っているとか。
すぐに仕事に嫌気がさして転職を繰り返す男性が、ラーメンについてはかなりマニアックな店やレシピ本をチェックしているとか。
人付き合いが苦手でコミュ障だと自覚する女性が、アニメの推しに関しては並々ならぬ熱量で語れるとか。

ある一定の分野や対象については、強いモチベーションを抱いているという事実があるものです。

かくいう私も、学校の勉強や一般的な労働には飽きや嫌気が生じてしまうのですが、心理系の本だとかスキルなどには夢中になれたことが現在の職業に繋がっています。

その人だけが持つ、個性・特徴・長所などは、はぼ例外なく存在しています。
そして、ついつい夢中になってしまうようなドーパミンのトリガーを持っています。

「うちの子は、暇つぶしにゲームをしているだけ」とか、「生活のために働いているだけで休日は寝ている」とか、表面だけ見て探求が雑だったりすれば、見えるものも見えなくなってしまいます。

誰かから勧められたレジャーやスポーツなどは、熱くなれない限り有効度が低く、出来るだけ自分で探し出すことが大切です。
確かに、よほど丁寧にじっくりと自己探求しても、簡単に見つかるものではないのかもしれません。
同時に、誰も教えてはくれませんし、勘違いしたり変化したりもします。
すなわち継続的に、「ポジティブになれる経験=なにかをやってみる」ことに集約されるでしょう。

嫌な事にやる気など起きるわけがないので、日々の生活にはワクワクするようなご褒美や心を弾ませる何かが不可欠なのです。



やる気を止める“セーフティ・ネット”







そこで大切なのは、モチベーションを上げようとすることよりも、むしろ行動を止めているものは何かを知ることです。

「勉強する気が起きないんですよね~。学校もダルいし~」
自分の将来や、人生に直結する知識や学力を怠ろうとする若者がいます。

そもそも彼らには、努力せずとも雨風がしのげる家と自室があり、日に何度か提供される食事があり、スマホやゲーム機があったりします。

「仕事にやる気が起きないんですよね~。昇進とか興味ないですし~」

同じく、このように大の大人になっても挑戦や努力を怠る社会人がいます。

「家事とか育児とか苦手なんですよね~。そもそも結婚に向いてなかったんですよ~」

自分で選んだ人生なのに、無責任な発言をし、何事も手を抜こうとする人がいます。
これもまた、人間の姿であり、そうなる背景があります。

やる気がないとか、あきらめが早いとか、行動が遅いのにもきちんとした理由があります。
考えてみれば、明日急に家が無くなったり、仕事をクビになったり、家庭を失うこともありません。
なんだかんだ言っても、そこそこの安定した日常が繰り返されるでしょう。


明後日も、来週も、来年も・・・。

そして、あっという間に40代~60代を迎えて、こう言ったりするのでしょう。

「こんなはずじゃなかった・・・」

「本当は、やりたいことが沢山あったのに!」

そこに、うっすらとでもセーフティ・ネットがあると、簡単に甘んじてしまうのです。
あって安心な保険ですが、何事もマイナス面が存在します。
また、変化を恐れるという心理的なホメオスタシスや現状維持バイアスも影響するでしょう。

確かに、地道に努力するのは大変です。
我慢するのも、挑戦するのも簡単ではありません。
何かを始めて、その責任を負ったり、失敗や敗北の可能性を直視するのも恐ろしい事です。

まして、誰かを支えたり守ったりなんて、余裕のある人だけの美辞かも知れません。
だから、出来ない理由として、「モチベーションが足りなかった」とか、「〇〇だったから」という自己不満を埋める言葉で片付けられます。

ただし、

こんな生活から脱したい!

人生を変えたい!

夢を叶えたい!

と、本気で思うならば、モチベーションを上げる事よりも先にセーフティ・ネットという心理的なストッパーに気付き、思い切って外してしまうか、小さくても一歩を踏み出してしまう方が即効性があります。



アドバイスは“他人事”








私には、「〇年後にカウンセラーとして開業して〇〇円の年収を得たい」「〇〇人の健康と幸福に貢献し、自分の使命を全したい」という目標がありました。
(脳に目標を設定するには、数字、期日などを具体的にして何が欲しいのかを明確化した方が良い)

ほとんど他言しませんでしたが、ある人からは「難しい」と言われました。
肯定的な人でさえ、詰め寄るような態度をされました。

有難くも、冷や汗が出て、背筋が伸びる思いをしたものです。

しかし、それらには良くも悪くも“他人事”という勝手さがあります。

「私の人生は私の自由であり、どうなろうとも全責任が私自身にある」

「だから、人の言葉に影響されて責任を押し付けることは出来ない」

「今日、この瞬間から何をするのか、自分で決めるのだ」

でも・・・、それでも不安で、億劫で、恐くて、先延ばしにして逃げ腰にもなりました。
そうして、なけなしの貯金を削って生活していたのです。




挑戦するしかない選択肢







やがて重い腰を上げるきっかけとなったのは、不自由な生活から脱したいという思いや、信念とかの精神論でもなく、もっと現実的なものに直面していたからです。

恥ずかしながら、それは現実的な預金額でした。
失うことと得ることは同時に起こると言いますが、私の場合、経済的な安定というセーフティ・ネットの喪失が大きな動機付けとなったのです。

見渡せば、貧困層出身の経営者や、地方の僻地から上京した著名人、虐待や家庭不和、様々な障害などのハンデを負った権威者などが大勢いることに気付きました。
表面的には見えなくても、何らかのハングリーさを秘めている方が立派な仕事をしていました。

歴史的に見ても、同じことが言えます。

国を追われた者や、迫害され、差別を受けた人々がのちに成功者となったり、世界的な主導者となるというのは通例です。

逆境をバネにすると言いますが、そういう点からも、一見ネガティブな事象にこそメリットがあるものです。

何度も失敗し、周りから非難されて傷つき、恥をかき、不安と恐怖に苛まれながらも果敢に挑戦し続けたのは、はじめから甘えられる環境など無く、それしか選択肢が無かったからでしょう。

モチベーションの有無を考える余裕もなく、彼らにとって止まることは自滅を意味していたからだと思います。



人は、マグロにはなれない








経営者の知人は、高所得者になってゆとりある立場となってもなお、移動中も本を読み、何かを書いたり、頻繁に誰かに連絡をしていました。

常にビジネスを考えて動き続ける向上心と野心の塊のような彼のことを、「マグロ(回遊魚)だ」という人も居ましたが、彼の成育歴からすれば、動きを止めることは“貧しさや惨めさ”という過去の不安につながっていたのだと思います。

沢山の聡明な社員、立派な家や健康な家族、そして豊かな暮らしややりがいのある仕事も、決して彼を満たすことは出来なかったでしょう。

自由で豊かな人生は、様々な象徴を併せ持ちます。

ある人は、レジデンスや高級車。
ある人は、屈強な肉体やエレガントな容姿。
ある人は、偉大な地位や社会的な影響力。
ある人は、多くの仲間と朗らかな笑顔。

仕事柄、彼らのような成功者と見なされる人には大勢出会いましたし、輝かしい経歴に見合ったそれぞれの役割をしっかり果たしていたと思います。

「やり切った」と言って会社を譲る方や、海外や田舎に突然移住したり、細々と別事業を始める人、また、何人かの悲しい最後にも立ち会いました。

また、世の中を変えた超一流エリートS・ジョブスが、人生の終末期に誤った人生への後悔を語ったことも思い出されます。

幸福は人それぞれですが、人は決してマグロにはなれません。

同時に、「こうはなりたくない」と感じることもあったり、自分なりの身の丈に合ったワークライフバランスを模索しました。

そして、その探求は、この先も続くのかも知れません。



最後に、やる気を出す方法をまとめます。

1、悩みやストレスを減らし、ポジティブになれるトリガーを見つける。
2、その方法は、何かを経験するしかない。
3、セーフティ・ネットに気付き、外す。あるいは期待しない。

追記として、
4、やる気の先にある「ゴール」については考慮すべき。

そして、実行できるのは5%未満というデータがあるそうです。

モチベーションなんて別に意識しなくても、実際は何か始めたら良いだけだと思いますが・・・。
選ばれし方々のきっかけになれたとすれば幸いです。


ご自分がその5%だと信じるなら、心理相談



記事を書いた人 Wrote this article

Kondo

短期間で改善を起こす、ブリーフ・サイコセラピー派の心理師。 あらゆる問題の解決事例を持ち、超合理的に結果に導く。 臨床から産業、教育分野まで、幅広い実践経験を持つ。 専門家からの相談を受けるマスター・カウンセラーである。

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