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こんな仕事がしたくて就職した訳じゃない。
周囲とも価値観が違う気がする。
もっと自分に合った仕事がしたい…。
しかし、生活もあるし、再就職への不安もある。
辞めるべきか、辞めざるべきか……。
目次
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落ちこぼれ社員
桃子は、地元の高校を卒業して某私大に入り、特にやりたいことが見つからないまま卒業を迎えた。
父は、公務員。
母は、流通係の職場でパートをしていた。
兄は、三流私大を卒業後、レジャー産業で働いている。
そんな家族の生き方に、影響されたくないと思った。
そして、就職したのは都内にある某メーカーの子会社だった。
就活にもそれ程前向きではなかったが、一応名の通ったグループ企業だったので安心だと思ったのだ。
しかし、そんなに甘くはなかった…。
同期には、資格を持っていたり実務スキルを身に付けている者、独特の人間性や社交性で上司や取引先にどんどん取り入って行く者など、上昇志向の者達がいてスタートで差が付いた気がした。
桃子は、ほとんど雑務のような誰にでも出来るような仕事ばかりをさせられていたし、いつしか年下の地方高専出の女子社員よりも評価が低いとも感じた。
そして二年後…、
はっきりと実感する落ちこぼれ枠の中で、いつ辞めようかと考える日々を送っていた。
清掃員から秘書になった話
ある日、動画サイトを見ていたら、お勧めに現れた動画が何気なく目に止まった。
タイトルは、「清掃員から秘書になった女性の話」。
よくある“良い話系”かと思いつつ、“実話”という文字に釣られた。
再生ボタンを押すと、感傷的なメロディと共にゆっくりと文字アニメーションが現れる。
※このようなBGMが流れていると仮定してください。
あるところに、企業の清掃員として働く女性がいた。
彼女は家庭環境に恵まれず、学歴も無く、とりあえず条件に見合った職業に就いたのだ。
職場には、自分とよく似た環境や中高年の女性が沢山いて、さっぱりとした人たちばかりで付き合いやすくはあったが、お互いに詮索しないような暗黙の了解があった。
普通の主婦もいたが、シングルマザーや未婚の他、訳ありそうな人も多く、ほとんどが五十台を越えていて彼女のような若い女性は珍しかった。
オフィスに行けば、一転して華やかでキビキビとした世界が広がり、そこにはスーツやきちんとした身なりで働く沢山の同年代の女性たちが闊歩していた。
しかし、薄汚れた作業着姿の自分と比べ、最初は彼女たちを眩しく見ていたものの、仕事があるだけましだと自分に言い聞かせていた。
『私とは、別世界だ…』
それでも自分は、こんな大都会の真ん中の大きなビルの中で働いているんだ、という自負心があった。
エレベーターから見下ろす世界は、まるで下界のように小さくも広大に広がっている。そこに一際そびえ立つこの場所を、自分たちの手で磨き上げ清めている。
帰り道で振り返って見上げる時、それを誇らしく感じられた。
そしてある日、いつものように急いでゴミを集めていると、ふと後ろから言葉を掛けられた。
「あなた」
振り返ると、そこには笑顔の男性がいた。
それは、この会社の社長だった。
「とても良い仕事をしていますね」
こんな立派な会社の社長さんが、一介の清掃員に目を配り、声を掛けてくれるなんて…。
「あ!、いえ…。あ…、ありがとうございます」
初めて交わした会社のトップとの会話は、彼女に強い余韻を残した。
肯定の連鎖 ~与えるから与えられる
この日から、彼女の仕事への取り組み方が変化した。
いかに手際よく、効率的に、それでいて丁寧に清掃ができるか。
これまで、ただ作業的にこなしてきた事に気付き、清掃に対するネガティブなイメージも薄れ、気持ちも前向きになった。
『良い仕事は、誰かが必ず見てくれている』というおとぎ話だと思っていたものが、現実に起こり得ると感じられたのだ。
すると次第に、清掃を通じて様々な事が分かってきた。
それぞれのデスク周囲の事務用品の整い方や乱れ方、ゴミの種類などから、その人がどんな仕事をしているのか、そしてどんな人なのかさえ何となく分かってきたのだ。
『几帳面で神経質そうだな』
『今日は、重要な仕事があるみたいだ』
『三日連続で休んでいたけど、まだしんどそう』
『仕事には厳しいけど、家族と良く連絡取っていて家庭的』
自ずと、こちらの動きもその時の様子や雰囲気に合わせていく。
それからも、そんな仕事ぶりの彼女に「お疲れ様です」「お世話様です」と労ってくれる人や、笑顔で会釈してくれる人が現れだした。
ある時は、エレベーターを譲られたり、両手が塞がっている時にはドアを開けておいてくれたりもした。
中でも嬉しかったのは、トイレ掃除の際に良く顔を合わす同年代の社員たちから、「こんにちは」と親しげに挨拶される事だった。
職種は違っても、同じ会社で働く仲間。そんな気持ちになれたのだ。
観察し、予測する ~人の価値感を大切に扱う
ある日、給湯室でいつも会う若い女子社員の表情に異変を感じた。
彼女は、いつもは愛想の良い人柄だった。
「どうかしましたか?」
話を聞くと、お茶汲み係のような仕事を受けるのが辛いとか、上司が好みにうるさくて難しいとかで落ち込んでいるようだった。
それならばと、清掃中に見聞きした事を助言した。
それは、その上司が度々コーヒーにお湯を追加していたことや、ゴミ箱に複数のコーヒーフレッシュの空だけ入っていることから、実は「とても薄いアメリカンで、ミルクを沢山入れるのが好み」であり、細かいが故に言い辛いものがあるだろうということ。
そして、そういったこだわりのようなものは誰もが持っていて、理解されないことや面倒臭がられることを配慮して遠慮しているものだという説明をした。
伝えてはみたものの、女子社員には響かなかったかも知れないな、と思いつつ仕事に戻った。
『仕事は、どんなものでも同じく社会に役立つかけがえのないもの』
『勝手に比較して、自分を卑下していたのは自分自身なんだ』
そんな気付きから、少しでも参考になればとの思いだった。
『どうせやるなら、最高のお茶を出せる人になって欲しい』
余計なお世話にならないことを祈った。
見返りを求めない、陰徳
しばらく経ったある日のこと。
彼女は、思いもよらず社長から直々に呼び出された。
なぜ自分に用があるというのだろうと、恐る恐る部屋に入る…。
ここへ清掃以外で入るのは初めてのことだ。
社長が、笑顔で迎えた。
そして言った。
「これからはぜひ、私の仕事の手伝いをしてもらえませんか」
あまりに唐突すぎて言葉が出ない。
すると社長が続けた。
「社内でのあなたの仕事ぶりは、いつも拝見しています。
感心すると共に、影響力の大きさにも驚いています」
「い、いえ。私は当たり前にやっているだけです」
「あなたの入社以来、社内の美観や整理整頓に対する社員の意識に変化が見られます。
清掃とは、心を映すものだと言われます。
私の尊敬する経営者は、“掃除の達人”と呼ばれていました。
しかし、その実践となると…、決して簡単な事ではありません。
あなたは、手際よく清掃に取り組むだけでなく、細やかな配慮で周囲にも気を配っておられた。
今や、社内であなたに敬意を持たない者はいないでしょう」
彼女は、恐れ多いように頭を下げた。
すると、社長が机の上のカップを持ち上げて言った。
「このお茶は、誰が煎れたと思いますか?」
「!」
「ある日を境に、明らかに私好みの美味しいお茶になりました。それもあなたのアドバイスであることを知って、納得しました。良い仕事というものは、そのようにして自然と影響を及ぼし、伝わっていくものだと思います。
あなたが行ったことは、評価されようとか、認めてもらおうとかでは無く、人知れず行っている善意です。それこそ、最も尊い“陰徳”とされるものでしょう。私は、あなたのような方を、心から尊敬します」
彼女は、思わず目頭が熱くなった。
そうして社長室に仕える身となった彼女は、それからも大いに才能を発揮したのだった。
ゴミ屋の娘
…これが、某有名企業に起こったとされる都市伝説です。
動画は終わった。
『まったく、こんなバカげた昔話…』
桃子は思う。
良い話は、綺麗ごとに過ぎない。奇跡的で非現実的だからこそ、エンタメ的に注目される。
ふと、部屋の中を見回すと、乱雑に散らかった光景が目に映る。
「ま、これが現実よね」
桃子の父は、公務員と言っても、ゴミ収集車に乗る作業員だった。
偶然にも“清掃”という部分は関連するものの、父の体に長年染みついた悪臭と周囲から受ける職業差別には、幼い頃から苦い思い出がある。
「ゴミ屋の娘」と蔑まれ、父を恥じたこともある。
だから、親の仕事を問われれば、「公務員」とだけ言った。
しかし、大人になった今では認識が変わった。
父は、雨の日も風の日もそんなきつい仕事を全うして、立派に二人の子供を大学まで入れてくれたのだ…。
ゴツゴツして黒ずんだ父の手…。
それがいかに偉大なものだったのかは、自分が社会人になって初めて理解できた。
でも、気恥ずかしくて今まで感謝を伝えたことはなかった。
職業に貴賤なしは、本当か
では、このケースを解析してみたいと思います。
良く言われることですが、「職業は平等に尊い」という標語がある時点で、現実としては「差は存在する」という前提が隠れているものです。
差別も格差も貴賤も、存在しないのならば最初から意識されることもないでしょう。
人が嫌がる仕事でも、それに従事してくれる人たちがいて社会は成り立っています。特にコロナ禍での必要不可欠な労働者はエッセンシャル・ワーカーと呼ばれ、感謝と共に社会的に再評価される風潮がありました。
前提として、人は競い合う習性があり、優劣、勝敗、正否などは、生まれた環境や容姿から始まって、学業、運動、収入、対人力などで推し量られ、当然、職種も含まれます。そのように、社会システムには一貫して二分化する性質が含まれています。
人気の職業トップテンと、嫌われる職業トップテンは当然のように生まれ、若者は少しでも良い仕事に就きたいと競います。
そして、競争には進化論的な有益性があり、人間の本能だとも考えられていますから、案外社会は上手く作られているとも言えるのです。
競争に勝てば、進化して繁栄がもたらされる。
人間のみならず自然界を見ても、確かに理に適っています。
桃子さんに例えるならば、与えられた仕事に手を抜いている時点で負けていると言えるのかも知れませんが、もう一つは、「こんな仕事。自分に向いていない。価値観が違う」と認識しているという点です。
厳しい方だと、「甘えている。出来損ない。負け犬」などと意味付けるでしょう。
優しい方なら、「良く頑張ったね。もう辞めてもいいと思う。きっと自分に合った仕事が見つかるよ」と言ってくれるかも知れません。
昨今では、このような様々な場面での物事の捉え方、そこに現れる人間性やポジティブ度などが評価の対象となります。
学歴や経歴よりも向上心が評価されるなど、評価ポイントの中での比率が高い事は充分あり得ます。
そして、どちらにしても人生の責任を負うのは桃子さん自身です。
まずは現状から、何を選択し、どう行動するかに掛かっています。
掃除は多面的
リスクは何にでもあるものですが、最大のリスクは「諦めて何もしないこと」だと言われます。
転職にしてももちろんリスクはありますが、職業の選択は個人の自由ですし、新たな一歩を踏み出すのももちろん良いでしょう。
…その前に、
現状を変えるため、そして今後の仕事にもかなり影響が出る事を、試しに一度だけやってみて欲しいと思います。
たかが掃除? …されど掃除です。
人が嫌がるものには見落としや怠りがあり、前向きに取り組むことで人の役に立つだけでなく、セロトニンなどが分泌して幸福度が増します。
ただし、「やってあげている」などの押し付けがましい態度は卑しく感じられるものなので、あくまでも見返りを求めない事が大切です。
逆に、公共の場を汚したりゴミのポイ捨てなどはしないことはもちろん、自分のゴミ袋の中に周囲のゴミを拾って入れたりします。
人知れず誰かのために何かをすることは、自尊感情や自己効力感に直結するのです。
感謝と謝罪は心の掃除
桃子さんは、せっかくのお父様への気持ちを伝えていませんでした。
子供が大人になって胸の内の葛藤を消化し、親へ感謝の念を抱いている…。
このような温かい親子の交流は、お互いにとって生涯忘れられないものになったりします。
しかし、歳を重ねれば重ねるほどに距離が生まれ、ためらってしまうものでもあるでしょう。
もったいない事ですが、実はご本人も伝えたくて仕方なかったのだと思います。
『自分も、出来る事から肯定の連鎖を始めよう』
桃子さんは、お父さんの誕生日に思い切って電話を掛けました。
そして、お祝いの言葉に添えて、思っていた感謝を伝えました。
「子供の頃、疲れてても運動会や父親参観には必ず来てくれてたなぁって思い出して…、あ、ありがとうね。」
「うん……。」
「あ。あとさ、学校とかに来るときは、直前にお風呂入ってたの知ってる…。『臭い』って言っちゃってたし…、娘に恥かかせないようにって、気を遣ってくれてたんでしょ?なんか…、子供だったからさ…、ごめんね。」
しかし、受話器からはしばらく何の返答もありません。
すると、間もなく母親の声が聞こえました。
「あんた、お父さんに何言ったの!」
「え?」
「ちょっと、やめなさいよ!何かあったの?お父さんが、大泣きしちゃってるじゃない!」
心の掃除には、心理相談へ。
※個人が特定出来ないよう情報を加工しています。
記事を書いた人 Wrote this article
Kondo
短期間で改善を起こす、ブリーフ・サイコセラピー派の心理師。 あらゆる問題の解決事例を持ち、超合理的に結果に導く。 臨床から産業、教育分野まで、幅広い実践経験を持つ。 専門家からの相談を受けるマスター・カウンセラーである。