なぜ山に登るのか。登山の心理

 

そこにエベレスト(山)があるからだ  ジョージ・マロリー

 

登山ブームのようです。

リフレッシュ出来ますし、心身の鍛錬になりますし、とても良い趣味だと思います。

関東にもミシュラン認定の高尾山をはじめ、日本百名山の筑波山(877m)という山があり、多くの登山者でに賑わっています。

私もあちこち出かけましたが、とても良い思い出です。

でも、スポーツという感覚もなく、まして冒険でも巡礼でもありません。

せいぜい1,000メートル級くらいですから、ちょっとしたハイキングです。

2時間程度で登頂して弁当を食べて、夕方までには下山して温泉。
疲れていればロープウェイやケーブルカーも有り。

そんな私ですが、いつかは本格的な登山をしてみたいと考えたこともありました。

「山を舐めてる」と思いますか?

これでも、中学生の頃から山岳修行と称して、野山を何キロも巡り、テントも寝袋も無く焚火で川の水を沸かし、一週間程度の山籠もりを何度もしました。

サバイバル関係の本を読んだり山の映像を見たり、実は人並み以上に山やアウトドアが好きなんです。

低山でもきちんと情報集めはしますし、服装も安全な登山用で装備はバッチリ揃えています。

ちなみに、日頃から良く「カバンが重そうだね」と言われますが、東日本大震災の教訓もあって、最小限のレスキューグッズ一式を持ち歩いているのです。

もしもの時は、この備えが物を言うでしょう。

危機管理と言えば良く聞こえますが、要するに「生きたい」のです。

死んだ祖父がこれを聞いたら、「日本男児たるものが、生に固執するなど恥を知れ」と叱られるかもしれません。

 

登山には絶対的な目的があります。

 

マロリーは、「理屈じゃないんだよ」とか、「お前らには理解出来ないよ」とでも言いたげですが、本当は何を思ってのことでしょうか?

目的も脈絡もなく、さしたる喜びも感動もなくて過酷を極めるチャレンジに挑めるかは疑問です。

人によって、達成感や冒険への渇望、生命の実感や名声など、色々なことが言われるでしょう。

説明はつかなくても、言葉にはしなくても、何かを求めて実行しているはずで、一言で言えば「登りたい」という欲求ゆえです。

例えば、「広大な景色を見たい」

経験として得られるのは、

挫けずに頑張ること。
困難に立ち向かうこと。
誰にも出来なかったことを成し遂げる事。
生きている充実感を味わう事。

理由付けは、様々に出来ると思います。

 

以前、イベントを手伝った際、登壇者の一人に登山家の若者がいました。

一見してただ者ではない雰囲気で、日焼けした精悍なマスクに全身から放たれる覇気。さすがに世界の峰を目指すアルピニストは違うと思いました。

一度会っただけで魅了されるような好青年。実際に多くの人が彼の人柄に魅かれ、様々な応援や協力をしていましたし、人を巻き込むスター性を持っていました。

スピーチも堂々として心を掴まれる内容で、強烈な印象が残りました。
それ以降、彼の活動に注目していると、次第にテレビやマスコミにも取り上げられ、その姿を目にすることが多くなりました。

彼のポリシーは、登山のプロセスを動画配信するというもので、多くの人々と共有することにこだわりを持っていました。

ネット世代のヒーロー像を感じさせるには、十分なコンセプトだったと思います。

何も持たない無心な若者の、飽くなき挑戦。

そうやってみるみるうちに、彼は一躍時の人となっていったのです。

同時に、様々なものに直面せざるを得なかったことは想像に難くありません。

 

注目。

称賛。

期待。

批難。

重圧。

意地。

 

 

…そして数年後…、彼は帰らぬ人となってしまいました。

何度目かの、世界の頂への挑戦の途中でした。

 

調べると、彼の登山スタイルは専門家たちから無謀だと指摘されていました。

注目される人気者だっただけに、アンチからのバッシングや炎上もあり、彼自身も深く傷付いていたことでしょう。

しかし、だからこそ…、何物にも屈しない強い意志が育まれたのではないでしょうか。

 

その死後、一部始終がドキュメンタリーになりました。

最後に彼が視聴者に共有したものは、皮肉なことに滑落死だったのです。

冒険の大きすぎる代償でした。

彼の発する一言一言が儚くて、脆くて、ひたむきで、強靭で…、その姿に込み上げるものがありました。

 

人生を登山に例える人がいます。

登頂は決してゴールではありません。

本当のゴールは生還することです。

名言を残したマロリーもエベレストで亡くなっていますが、無事に帰らなければそれは遭難でしかないのです。

 

古い言葉に、

馬鹿と煙は高いところへ上る

というのがあります。

確かに上を目指すことばかりではなく、余力を残し、時には降りるタイミングを計る必要があると思います。

その前に、達成の確率を冷静に見極めることが大事であることは言うまでもありません。

とかく、帰りたい場所が無い人ほど延々とチャレンジを続ける傾向があり、人生を悔やみがちです。

何かに挑戦することがもてはやされる風潮があったり、命がけの行為に称賛が集まったりすることは仕方がないでしょう。

大衆は、当たり前の事には見向きもしませんが、当事者が注目を求めなくても同様です。

 

彼の関係者が証言していました。

「何を言っても聞かなかった」

「何かおかしいなと感じた」

「何かに急かされているようだった」

そこまでこだわらねばならない「何か」とは何でしょう?

そして、本人がポツリと告げた事が、

「もう限界だ…」

 

これは、ご自身に当てはめてみても同じことだと思います。

仕事や何らかの活動で注目を浴びれば、この流れは避けられないものです。

他人に何を言われようとも、通さねばならない意地もあります。

バカだとなじられようと、アホだと笑われようと、貫くべき生き様もあるでしょう。

時代を作ってきたのは、そんな愛すべきバカだったりもします。

 

最後に、お父さんが墓前に花を手向ける姿が映し出されました。

愛する息子に送った最後の言葉は、

「信じてるよ」

だったそうです。

 

登山に限らず、冒険の目的は一つ。

生きて帰ること。

 

もし彼が生まれ変わって、再び同じ状況に置かれたらどうするだろう?と考えます。

もしかすると…、それでもやっぱり同じことをするのかもしれません。

何度でも何度でも、立ち上がって。

 

娘さん良く聞けよ。

山男にゃ惚れるなよ。(山男の歌)

古い歌ですから、男女関わらず…。

 

 

彼らのご冥福をお祈ります。

 

 

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