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俺はここにいる。そして、あなたにこの声を届けたい。
だから、何度でも叫び続ける。
目次
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「今、ここ」で、「何が」起きているのか
心理療法の一派に、ドイツ系ユダヤ人の精神科医F・パールズが創設したゲシュタルト療法があります。
カウンセリグやセラピーに関わる方にとっては、エンプティ・チェア(空の椅子)というスキルで馴染みのあるものだと言えるでしょう。
Gestaltとは、 「形態、かたち」を意味するドイツ語で、一般的に耳にするであろう「ゲシュタルト崩壊(知っている漢字などが、長く見すぎて分からなくなる等の現象)」などでご存じかも知れません。
精神分析、行動主義に並ぶ心理学三大流派であるゲシュタルト心理学と同様、人の心理を部分や要素ではなく全体性のまとまりのある構造として捉えることが特徴です。
精神分析的な、過去や経験などの一つ一つの要素を重視せず、それらの意味付けもしません。
大切なのは、自分自身が「今、ここ」で、「何を、いかに」話しているかであり、その思いに気づき、体験することが目的とされます。
それによって、「自分自身であることの自由」を得られるとされています。
その背景には、東洋の禅や瞑想の思想的な影響があります。
実際のセラピーは、グループワークとして行われることが多く、その名の通り、そこに集う人や場所、状況などを統合的に利用して行われます。
研修場所は、山深いホテル
それでもピンと来ない方のために、具体的な場面を通して「ゲシュタルト療法とは何か」そして、どのような効果があるのかをご紹介したいと思います。
臨床家として駆け出しだった頃、ゲシュタルトセラピー界で非常に有名な人物がいると紹介され、その方が主催する研修会に参加しました。
それは、山深い一軒の大きなホテルで一泊二日をかけて行われるにも関わらず、口コミだけで毎回満員になってしまうということでした。
距離も時間も参加費もハードルが高く、かなり気を引き締めて臨んだ記憶があります。
ご一緒した知人は経営者で、そこに集った70~80名近くのメンバーも、半数が同じく中小企業の経営者か役職でした。そのほかに、私のような援助職系や医療福祉系の人がいて、後は先生のファンというか、熱心なリピーターの方々もいらっしゃいました。
到着の初日から会場に集められた私たちでしたが、そのあとに起こる激しい感情の揺さぶりを予測だにしていませんでした。
そこで与えられた数々の体験は、参加者たちにとっても生涯の一ページとなるものだったと思います。
カリスマの後継者として指名された青年
全員の簡単な自己紹介を終えた時点で、それぞれが抱える悩みや問題がいかに切実なものかというのが伝わり、重々しい雰囲気が漂っています。
そして、早速今回の内容説明が始まりました。
ファシリテーターの先生は、噂通りの貫禄をまとった柔和な中高年の紳士でしたが、ワークが始まると途端にスイッチが入り、近寄り難いような威厳が放たれます。
「では、何かテーマをお持ちの方。どうぞ。」
すると、手が挙がった数名の中から選ばれたのは、二十代半ば位の男性でした。
彼については知人がたまたま知っていて、話によるとカリスマと称される企業家が自分の後継者として指名した人物ということで、その業界では噂になっているということでした。
そう言われずとも、こういったセミナーでは珍しいスーツ姿に端正な顔立ちで、かなり目立っていました。
若い頃の及川光博にGACKTを足して割ったような、人目を惹く華があるだけでなく、いかにも知的で聡明な佇まいがあります。
「では、あなたのテーマや課題をお聞かせください。」
「私がここに参加したのは、社長の勧めで、『一皮むけて来い』と仰せつかって来ました。」
経営のカリスマが白羽の矢を立てた若者に課したのは、ビジネスの研修でも、新事業の講習会でもなく、なんとマニアックな心理のワークショップだったのです。
ちなみに、ご自身も何度も参加済みで、そこから経営者に口コミで広がったとのこと。
「なるほど。では、これまでのあなたと一皮むけた状態のあなたについてお聞かせください。」
彼は、穏やかな表情で、物静かに淡々と語りだします。
「私はこれまでラッキーなことに、割と順風な人生だったと思います。実は今も社長から直々に指名を受け、リーダー候補として期待されるという状況にありますが…、何事にも冷静というか熱くなれないという部分もあり、逆に、試練や逆境などに耐性が無いとも考えています。」
ここに集う、数々の修羅場を搔い潜ってきたであろう汗と泥にまみれた猛者たちにとって、この青年の言葉ほど生ぬるく訝しいものは無かったかも知れません。
周囲を見渡すと、若干シラケた表情の中年男性たちです。
「その点、当社には叩き上げで鍛え上げられた上司たちばかりで、そんな中にあって自分に足りない何かを見抜かれて『一皮むける』ことを求められたのではないかと思います。」
さて、このようなテーマに対して、先生が選んだワークは…。
殻を破って、一皮むけるために
「わかりました。では、この中で、耳が遠い方は居ますか?」
すると、先に名刺交換していた社長さん二人が挙手しました。
「では、お二人は、この部屋の隅に移動し、こちらに背中を向けてお座り下さい。」
三百人の宴会でも可能な程の広い会場の左右の隅に、二人はそれぞれ言われた通りに移動します。
一同は、一体何が起こるのかとじっと目を凝らして見守ります。
「では、あのお二人に届くように、今のあなたの気持ちや言いたいことを何でも構いませんので伝えてください。」
ぎょっとした青年は、遠くに座る二人の方を向きました。
「お二人は、彼の声が届いたら手を挙げて合図してください。」
やがて意を決したように、彼は第一声を発しました。
「もしもーし。聞こえますかー。」
「もしもーーーし。」
しかし、二人はほとんど無動です。
すると先生が言います。
「あなたの声は、届いていないようです。」
そして、次の言葉を促します。
「おーーい!おおーーーーい!聞いて下さーーーーい!」
すると、二人は少しだけ首をかしげるような仕草をしただけで、やはり手は挙がりません。
徐々に表情をこわばらせつつ、青年は続けます。
「おおおーーーーい!お願いでーーーーす!」
「俺の声を聞いてくれーーーー!おおおおーーーーーーい!!」
何度も、何度も繰り返す青年からは、あの冷静で穏やかだった雰囲気は消え去り、今にも泣きそうな表情になっています。
非情にも、時間は刻々と過ぎていき、どうにかしなければ終われないという圧力がのしかかります。
参加者一同は、固唾を飲んで一部始終を見つめるだけです。
これからどうなるのか。
彼は、無事にミッションを達成するのか、否か。
それとも、次の展開があるのか。
俺は今「ここ」にいる
しばらくすると先生は、まるで今までの彼自身のように、穏やかに言いました。
「ビジネスの世界において、ご自身の言葉を相手に届けようとする熱意はとても大切です。」
それを聞いた瞬間、青年の表情から覚悟のようなものが見えました。
『頑張れ!』
そう祈らずにはいられない局面でした。
そして、物静かで穏やかな彼から、別人のような声が発せられたのです。
「わーーーーっ!!」
「俺はここだーーーーーーーーっ!!」
「ここにいるんだーーーーーーーーーっ!!」
それは、部屋中にこだまする、まさしく“叫び”でした。
そして、ついに部屋の隅に居た二人の手が同時に挙がったのです。
安堵する青年と共に、緊迫感から解放され、参加者たちも同様にホッとしています。
恥も体裁もかなぐり捨てて、人前で自分の思いを絶叫する。
初対面の年長者に対して、敬語を忘れてしまうくらいの必死さで。
それはおそらく、彼がこれまでに人生で行ったことのないものだったでしょう。
むしろ、そういう行為を恥じ、出来るだけ避けてきたようにも想像できます。
負け知らずの勝ち組エリートビジネスマン。
あるいは、そこはかとなく漂う、高飛車でキザなナルシズム感。
憧れや尊敬を向けられたり、あるいはそれが鼻に付くという人もいるでしょう。
ワークの後、青年の表情には、まさに「一皮むけた」ような達成感が漂っていました。
わずか10分にも満たない時間で、人の表情があれ程までに変わってしまうとは、見事な介入としか言い様がありません。
共感覚の渦
『おお…。これがゲシュタルトのワークか…。』
聞きしに勝る、とはこの事。
本人だけでなく誰にも似たような部分があるので、他人の経験を通じて自分自身のテーマとも重なり、場を共有することで共感覚の渦に飲み込まれるのです。
私にとって、それまで心理系のワークでは経験した事のない凄みがありました。
その後、本人からのフィードバック(感想)と、参加者からのフィードバックがあります。
「今までの自分の殻を破るような経験になりました。お二人に伝わったときは、とても嬉しかったです。」
一同拍手。
難聴者役(?)の一人が言うには、聞こえずらいという自覚が更に暗示のようになり、本当に聞こえなかった。でも、最後の彼の叫びで自分も目が覚めた気がした、との感想。
それも納得出来ると思いました。
「場」の持つダイナミズム
参加者も、それぞれ感じたことを伝え合い、最後に、先生によるテクニカル・フィードバック(技術的な説明)があります。
「彼の声が小さく、穏やかに話すという特徴は感じ取れました。そして、今後ビジネスマンとして飛躍するためには、その点にフォーカスした取り組みを行って頂くことが有効だろうと考えました。」
同じテーマを扱うにしても、同じものは二つとないのがワークショップの特徴であり、偶発的な面白さ(深み)でもあります。
そして、このようなグループワークは、ファシリテーターの技量が問われるのです。
耳が遠いことをなぜ問い、あの数十名の中から、どうしてあの二人が手を挙げたのか。
これを偶然ではなく必然として活かすにはどうすれば良いか。
「一皮むく」という形容詞に込められた、本人の、そしてカリスマ社長の真意とは何か。
それらを汲み取ることは、決してたやすいことではないでしょう。
しかし、場を先導する立場にあって、あれこれ悩んでいる時間などほとんどありません。
ワークを終えて、二人の社長は、青年と握手を交わしながら何を思っていたでしょうか。
「おめでとう!しっかり気持ちが届いてたよ。」
「腹の底から、声が出てたね。」
あの役割に相応しいのは、同じビジネスリーダーのあの二人しかいないようにも思えました。
そこにどんな人々がいて、どのような状況にあって、どうなることが予測出来るのか。
そのための、効果的な作用力点を見つけ出すような慧眼。
個人とテーマ、そして場を作る全てを駆使して瞬時にワークが組み立てられる様は、まさにドラマティックで芸術的でした。
暖かく労わりある交流こそが大切だと考えていた当時の私にとって、これは衝撃でした。
『対人援助とは、時にこのような試練を課す事もあり得るのだ…。』
と、同時に、臆病者の自分にとって、ここで自己開示するような度胸は無いな…、と怖気だったのでした。
とはいえ、何事も経験こそが宝という思いに葛藤しつつ…、ゲシュタルトの夜はふけていく…。
後半につづく。
※個人が特定出来ないよう情報を加工しています。
記事を書いた人 Wrote this article
Kondo
短期間で改善を起こす、ブリーフ・サイコセラピー派の心理師。 あらゆる問題の解決事例を持ち、超合理的に結果に導く。 臨床から産業、教育分野まで、幅広い実践経験を持つ。 専門家からの相談を受けるマスター・カウンセラーである。