内観療法とは。 ありがとう、ごめんなさい

 

「自分は今まで、こんなにも深い慈悲に包まれていたのか…(涙)」

 

 

日本発祥の心理療法の中でも、世界に認められて広がった一つが内観療法です。

吉本伊信さんという、実業家から僧侶になった方が創始者で、浄土真宗の自己反省法「身調べ」という修行法が起源となっています。

六十年代から病院や少年院などに導入され、精神医療の一役を担いました。

歴史ある、本物の心理療法の一つだと言えます。

私は、心理臨床家を目指した頃、勉強のために一般の研修施設で受けるのではなく、あえて本物を求めて浄土真宗の寺院で受けることにしました。

もう、十数年前のことですが、今でも鮮明に覚えています。

場所は近畿の山間部。よせばいいのに極寒の冬の時期に向かいました。

田舎道をひた走り、やっとたどり着いたお寺は境内が広く、山門をくぐると空気が変わったようで身が引き締まりました。

担当の僧侶から説明を受け、そこで携帯電話や電子機器の類いを預け、外界との接触を遮断されます。

着替えなどの限られた所持品を持って案内されたのは、わずか一畳半程の場所でした。

そこは、仏像が祀られている広い本堂の隅に衝立のような壁で一つ一つが仕切られているだけで、ただの空間にすぎません。

歴史ある広い寺なので、三十名くらいは同時に行に望めるようでした。

板の間で風は吹きこみ、一切の暖房器具も無し。座布団があるだけで、まるで外にいるのと変わらないくらいに寒いのです。

そこに入ったら、トイレ以外は立ち歩くことも許されず、じっと座り続けます。

以前は正座か座禅を組む必要があったそうですが、今はあぐらをかいたり膝を立てたりしても大丈夫ですが、横になるのは禁止でした。

この環境の中、五時起床二十時就寝、六泊七日を過ごさなければなりません。

 

もうすでに始められている方が四〜五名いらっしゃいましたが、広いお堂の壁に向かって座っていますので背中合わせですし、私語も厳禁です。

どこの誰なのか、なぜここにいるのかなど一切分からず、挨拶も目を合わせることすらなく、壁一つ隔てて行に入ります。

ただ座っているだけではなく、ニ〜三時間に一度、僧侶との面接があります。
実は、始める前にあることについて調べるようにと説明を受けていました。

生まれてから六歳までの間に、
お母さんから

してもらったこと
して返したこと
迷惑をかけたこと

という三つの問いです。

鐘の合図で別室に移動し、それに答えるのです。

無表情の若い僧侶が言います。

「何について調べて頂きましたか」

「生まれてから六歳までに、母からしてもらったことを調べました」

「はい」

「お漏らしをした時、オムツを取り替えてもらいました。母は畑仕事で疲れている時も、どんなに眠くても、おそらく私が泣けば、寒い冬の夜でも当時使っていた冷たく湿った布のオムツをせっせと取り替えてくれました」

「はい」

「次に、生まれてから六歳までに、母にして返したことを調べました」

「はい」

「赤ん坊の頃は、ただ甘えていただけだと思います。何かあったとすれば、とにかく元気にすくすくと育つことで、生んでくれた母の期待に応えられていたかも知れません」

「はい」

「次に、生まれてから六歳までに、母に迷惑をかけた事を調べました」

「未熟児で体が小さく泣き虫でしたので、心配をかけてばかりだったと思います。特に三歳頃、原因の分からない発疹だらけになって大騒ぎになったと聞いたことがあります。母の気持ちを考えれば、どんなに心配をかけたかと思います」

「はい」

「では、次に七歳から九歳までに、お母さんからしてもらったこと、して返したこと、迷惑をかけたことについて調べてください」

…と、このような流れで続いていきます。

私の場合は、三年区切りに母親から父親へと移ってい行きましたが、要するに身内や家族などとの生活の中で、受けた恩や掛けてしまった迷惑を内省することを目的としています。

ふだんの暮らしの中では、そんなに考えることもない近親者への感謝や恩について時間をかけて思い返していくことで、精神的な浄化や整理を促せるということでしょう。

情報が遮断された空間でひたすら内観することによって、いかに自分が両親から面倒を見てもらっていたか、あれこれと手を煩わせていたか、それにも関わらず何も恩返しができていなかったということに直面します。

精神的な向上には、利他(誰かのために)や感謝、反省、恩返しなどが必要だと聞きますが、これを半ば強制的に短期間で起こせると思います。

いささか古い理論ですので最近はあまり重用されていないようですが、犯罪者や少年院での更生などに大きな効果があったと言われています。

それは、あの環境と時間の中でしか起こり得ない感覚だと思います。

ただひたすらに、

「ありがとうございます」

そして、

「ごめんなさい」

の感情が、繰り返し繰り返し訪れるのです。

 

朝は目覚ましのお経が合図で、カプセルホテルというよりも雪山のテントと思しきスペースに敷かれた木綿布団からすぐに飛び起きて着替えます。
続いて読経や作務(掃除や片付け作業)を行い、それが終われば、元の位置に戻って再び座り続けます。

寺の寒さを甘く見ていた私は、衣類全般を普通のスポーツウェアにしてしまったことを非常に後悔しました。他の方を見ると、明らかに寒冷地仕様の防寒着だったのです。

思い返せば、服装の決まりごとは無かったはずで、人によっては毛糸の帽子やマフラーに手袋と、完全装備です。

後の祭りと、何枚も重ね着して対処するしかありませんでしたが、それでも朝晩は身を切るような寒さです。寝る時も着膨れしたまま布団に入り、特に靴下は常に三〜四枚履いていました。

読経の時だけは、一日の中で唯一大きな声を出しても良い時間です。
身体を動かさずとも、それだけで体温が上がってくるのです。
「肚から声を出す」という行為は、もはや生命の活力を感じる瞬間でさえありました。

他の楽しみは(修行中に不謹慎ですが)、三度の食事と三日おきに許される十五分の入浴です。

食事はお寺らしく全てが精進料理で、贅沢ではありませんが作り立てで味付けも美味しく、量も十分でした。

ご飯の量は選べましたが、残すのは禁物です。
最後にご飯茶碗にお茶を注いで、一切れだけ残しておいたタクアンを使って綺麗に掃除するようにして飲み干します。

温もりと共に食べ物の栄養が冷え切った身体に染みわたります。
本当にこの食事の有難さといったら…。

昼食後には、横臥と言って小一時間の昼寝が許されます。これも、例の空間にきちんと布団を敷いて眠れるのですが、これは正にご褒美でした。

合図の鐘が鳴ればすぐに起床し、また定期的に面接時間がやってきます。

 

そんなある日、忘れられない事件が起こりました。

その日は、朝からどんよりとして今にも天候が崩れそうな雲行きでした。

僧侶から声を掛けられた私は、外の縁側に移動させられました。

これは日中になると順番に行われるもので、適度な日光浴を目的としているようでした。

暗い屋内に閉じ籠っているよりは幾分気が晴れますし、日が差していれば温かいので特に苦ではありません。
…が、場所を外に移動して間もなく、ついに鉛色の空から雪が降りだしてきたのです。

しかも、時間が経つにつれどんどんと強くなり、瞬く間に庭一面が真っ白になりました。同時に、縁側の隅に座っている私の全身にも容赦なく雪が降り積もります。

最初は何とか払っていたのですが、それも切りがなくなり、小一時間もすると全身雪まみれの雪だるま状態になってしまったのです。もはや、軽いパニック状態です。

そんな時に限って、一向に面接時間が訪れません。多少の耐性は付いた頃ではありましたが、徐々に露出した肌の雪が溶けて服に染み入り、本当に凍死するかも知れないと言う位の辛さでした。

きっとこの大雪に気付いて、誰かが止めに来てくれるはず…。

もう、永遠に感じられる地獄のような時間でした。

そして数時間後に訪れた僧侶が見たものは…、外の雪景色の一部と化した樹氷のような人間の姿でした。

「うわっ!」

そう発するなり急いで私を立ち上がらせ、「早く!早く中に入ってください!」と。

『……ああ…、生きてる…。今…、ちゃんと生きてる……』
心の中で繰り返していました。

今にして思えば、屋内で作業していて外の雪に気付かなかったのかも知れません。

意地もありましたが、絶対に動いてはいけないというルールなので守るしかなかったのです。

後で見ると、足のほとんどの指と手の指も赤く腫れあがり、凍傷になっていました。

 

そんな環境の中でも、人間というものは何かしらの楽しみを見つけ出すものです。
密かな喜びは、朝日を拝むことでした。
闇が白み始めると、まず一斉に鳥たちがさえずり始めます。一日の始まりを感じる瞬間です。
まだ暗いうちから座り始めていますので、徐々に外が明るくなるのが分かるのですが、何日目かにお堂に光が差し込む時刻を突き止めました。
そして、ちょうどそのタイミングを見計らってトイレに立ちます。
お寺のトイレは、外の縁側を渡った先にあるので、山稜から昇る朝日が木々の間からほんの少しだけ見える場所があるのです。
そこに立ち止まって真っ赤な陽の光を受けると、思わず手を合わせたくなるほど神々しくて暖かく、全身にエネルギーが満ちてくるような感覚がありました。

「生きとし生けるものを照らす御天道様…」

まさに、そんな感じです。

 

さて、そもそもこんな修行を望んでするのは他にどんな人たちなのか…。

同じ期間にご一緒した数名は、三十代から四十代の男女で、多少の重々しい雰囲気はありました。
その中に一組だけ、小学校低学年くらいの男の子と、その母親らしき親子の姿がありました。
自分が入った初日にはすでにいたので、もう数日は過ごしている様子です。
見た感じはごく普通の男の子で、幼いのにしっかりと身動きせずに座っています。

その姿に思わず驚いてしまいました。

子供と言えど私語は禁物なので、隣の母親に時々目配せをするくらいです。

『あの親子…、一体何があったんだろう…』

様々な想像が掻き立てられました。

最初は、もしかしたら体験コース的なものなのかも…と思いましたが、そうこうしているうちに数日が過ぎていったのです。

先に来られていた方が次々に終了して帰られる中、あの親子とはずっと一緒でした。

何だか情が移ってしまい、トイレに行く途中などにチラっと見たり、面接の移動時などにも彼の事が気になってしまう自分が居ました。

食事は広い和室で一斉に食べるのですが、献立は野菜の煮物や豆料理などですから、決して子供向けのものではありません。いくら何でも大人のように早くは食べられない様子で、いつも彼だけ何分も遅れて食べ終わるのです。

それでも必死に追い付こうして、頑張って口一杯に頬張っている姿が健気で愛しくなりました。

一斉に合掌して後片付けをする決まりなので、彼が食べ終わるのを全員で待たなければなりません。

大人たちがじっと佇む中、お茶碗のタクアン掃除も、おぼつかない様子ですがきちんとやっています。

きっと誰もがそうだったと思うのですが、同席の皆がそんな彼を温かく見守っていました。

『頑張って。大丈夫…』

いつしか食事の時は、男の子のペースに合わせるように誰もがゆっくりと食べるようになっていきました。

何か事情を持っているかも知れませんし、お母さんにとっては余計なお世話だったかも知れません。でも、一言の交流もない中で、お互いに汲み取りあった行為だったと思います。

私は、ほとんど彼と同時にお茶碗を置くのが楽しみになってきました。

 

そしてついに、その親子とも別れの時が来てしまいました。

母親に連れられて、大きな荷物を抱えて出ていくとき、一瞬だけ目が合いました。

『ああ…、帰っちゃった…』

『あの子は、いつかこの経験を思い返してどんな風に思うんだろう』

お母さんにしてもらったことは……。

「お寺の修行に連れて行ってもらったことです!」

そうなることを祈らずにはいられません。

 

そして、私にも最終日がやってきました。

支度を整えて、お世話になった僧侶たちと最後のあいさつを交わしに向かいます。

僧侶との接触は、作務の指示と面接時の問答だけだったので、これだけの期間を一緒に過ごしてはいてもほとんど交流は交わされません。

雪だるま事件の時は鬼だと思いましたし、黒い法衣で常に能面のような表情が不気味に感じる得体の知れない存在でした。

しかし、最後だけは違っていました。

まるで別人のような優しい笑顔で迎えてくれたのです。

 

 

「近藤さん。お疲れ様でした。本当に良く頑張りましたね」

その時、思わず全身から力が抜けていくような感覚に襲われました。

その後、色々とお言葉を頂戴したのですが、怒涛のような感情の放出があり、何を言われているのか良くわかりません。手を握られると、突然感情が吹き出して涙が止まらなくなりました。

それは、他に例えようのない生まれて初めての感覚でした。

『なんでこんなに泣けるんだろう…』

和尚様は、車が見えなくなるまでずっと両手を高く振り続けて見送ってくれました。

『あのお坊さんたちは、鬼じゃなかった。本当は仏様だったんだ…』

そして周りに見える景色が、それまでとは全く別物に見えました。道行く人が、森の木々が、吸い込む空気が、世界の全てが輝いて見えたのです。
外で食べたうどんは、とてつもない美味しさに感じられました。

 

内観とは、自分自身に徹底的に直面する作業です。

厳しくもあり、気付きもあり、湧き上がる感情もあり、これ程の体験は他ではなかなか出来ないと思います。

実は途中でなんとなくバカらしくなり、正直抵抗感を感じました。
方向性が見え見えなので、冷める事も出来たでしょう。

近年では、そういったニヒリズム的な傾向を持つ方は多いと思います。

また、バリバリの体育会系だったら、きっと体力的には余裕の体験だと思います。

あの“世界の輝き”も、四〜五日で元通りでした。

もう一度受けるか?と言われたらかなり迷うでしょう。

しかし、無駄だったとは思いません。

 

こういうものは、何でも自分次第です。

冷めるのか?

熱くなるのか?

客観か?

没入か?

結局は、あなた自身が何を選び、どんな人生を望むかに掛かっています。

 

 

 

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