この記事は約 15
分で読めます
私の名は友加里。老健(介護老人保健施設)で働く、4年目の介護福祉士だ。
離婚歴があり、中学生の男の子をシングルマザーとして育てながら働いている。
今日は、寝たきり老婆の入浴介助中に、「下手くそ!」と怒鳴られた。
こっちは一生懸命やってるのに…、きっと頭がおかしくなってるんだろう。
そうでも思わないと、やっていられない。
何を言われても、そこで止まっていたら一日の仕事は終わらないのだ。
「ごめんなさいね。これからは気を付けますねー。」
そんな風に流すしかない。
目次
Outline
Outline
老婆のアイドル
うちの職場は離職率が高く、今月も一人の男性職員が辞めていった。
彼は、いつも給料が安すぎると愚痴っていたから予測はしていたが、未婚だから身軽なのだろう。
職場では男手が重宝されるのも事実であり、最初は何かと便利だった。
胡散臭い男だったが、にこやかで話しやすく、女性入所者からの人気は高かった。
「〇〇さん。レクで作った作品観ましたよ。上手ですねー。」
「××さん。もうすぐお誕生日ですね。お祝いしましょうねー。」
そんな言葉がポンポンと出てくる割に、長い事彼女はいないらしい。
同年代からはモテないので、老婆のアイドルになって付け上がるのも無理はない。
徐々に生意気な言動が目立つようになり、勘違いが加速。
そして煙たがられて居場所を失ったのだ。
その身勝手な彼の尻拭いは、引継ぎもままならないまま私に振られることになった。
「前の男の人はとっても親切で良い人だったのに、どうして辞めちゃったのよ?あんたたちがイジメたんじゃないの。」
…何も背負うものが無く、気まぐれで働けるのなら、一時の親切さなど誰にだって出来る。
飽きが来たら、さっさと逃げればいいのだから。
偽善者介護士
それでも、この業界はどこも人手不足だ。
きっとまた同じように、あの上辺だけの人当たりの良い笑顔と一時の親切さで、寂しい老人の心を引っ搔き回してはパッと消えることだろう。
でも、ああいう迷惑な偽善者介護士は、どこにでもいる。
身軽な独り者や、旦那の給料に依存しているパート気分の主婦は特にその傾向が強い。
大したスキルも無く、優しく親切を売りにするしかないので、入所者からは評価されるが、その実態は自分の存在意義を求めているだけで、ちょっとしたトラブルがあるとすぐ辞めていく。
そもそも、介護士やヘルパーが、心からホスピタリティや慈愛に満ちて働いていたら、きっと長くは務まらないだろう。
甘えを捨てて割り切らなければ、山積みの仕事はいつまでも進まない。
そして、どれだけやっても報われることも無い。
だから、全ての感情にフタをして、どんな不条理にだって耐えるしかない。
何があっても、バーンアウトせず長続きするのが本当のプロだと思う。
定時に終わらせて、帰る。
ひたすら、それを繰り返すだけだ。
息子に罵られ、男に裏切られた夜
疲れ果てて帰宅すると、子供に食事を作り、洗濯や片づけ物などの家事が待っている。
でも、明かりの点いている部屋が待っているだけでも安堵感がある。
私には、この子がいる。たった一人の家族が。
この生活を守るために明日も頑張れる。
…そう思っていた。
息子は難しい年頃で、最近は何かと反抗してくることも多い。
今週は、学校での問題行動について何度目かの呼び出しがあった。
肩身が狭いが、何を言っても素直に聞くような子ではないので、頭を下げ続けるしかない。
上司からは、そんな子育ての問題について、あたかも「シングルだからではないか。」と嫌味を言われた。
人の苦労も知らないくせに、頭にくる。
夕食のとき、学校の件で子供と口論になった。
口が達者になってきた息子は、私を激しく罵ったのだ。
「クソばばぁ!元はと言えば全部テメーのせいなんだよ!」
「勝手に産んだくせに!テメーが悪りぃんだよ!」
思わず、頭に血が上って…、でも、疲れていたのか言い返せなかった。
そして、なぜか泣いている自分がいた。
『そうなのかもしれない…。』
その夜、SNSで知り合ったアメリカ人のアーミーから連絡があった。
まだ会ったことも無いが、熱烈に求愛を受けていた心の拠り所となる人物だ。
そして、将来のパートナー候補でもあった。
でも…、その幻想はロマンス詐欺だと気付かされた。
最近、高額な金銭を、「必ず返すから」と言って無心してくるようになったのだ。
そもそも、そんなお金は手元にはない。
アーミーというのも、きっと嘘だろう。
異性からの優しさに飢えていた自分が悪いのだ。
詐欺師は、そういう弱みに付け込んでくる。
男にはうんざりしていたはずなのに、こんな情けない自分にうんざりする。
『あ~あ…、そうか…、そんなもんよね…。バカみたい…。』
でもなぜか、また涙が流れ出した。
明日も、息子に食事を作って仕事に行かなきゃ…。
涙は、いつまでも止まらなかった。
感情労働とバーンアウト
心の時代という風潮の中、感情のコントロールや抑制が不可欠なサービス業をはじめ、適切な身体表現を強いられる労働について、社会学者のA・R・ホックシールドは、「感情労働」と提言しました。
第一次・二次産業に代表される、肉体労働。
研究開発、企画、デスクワークなどの頭脳労働。
そして、接客、サービスなどの感情労働は、第三の労働と呼ばれます。
顧客に接する店員なら、たとえ嫌味を言われても、謂れのない暴言を吐かれても、強迫的なクレームに迫られても、反省を示すように頭を下げて、誠意ある対応が余儀なくされます。
「この度は、大変申し訳ございませんでした。」
「今後、このような事の無いように致します。」
「今後、このような事の無いように致します。」
人と関わって生きる以上、時には本心を偽って「相手を気遣う」「配慮する」というのは大前提になります。
特にそれが顧客やサービスの対象、連携を必要とする仕事相手であれば尚更のことで、時には身内であっても感情のコントロールが求められます。
むしろ、本心を赤裸々に開示する場面など皆無かも知れません。
精神心理学者のH・フロイデンバーガーは、燃え尽き症候群(バーンアウト)という概念を発表しました。
仕事のストレスによって、意欲が低下し、対人関係なども避け、何事も悲観的になることを指しますが、当時からヒューマンサービス業の分析に端を発しています。
現代人とストレスの戦いは、結局他人との関係で生じるようです。
離職率と三福祉士
厚生労働省によると、離職率の高い職業の上位は、接客、サービス業などの感情労働に集中しています。
1位、宿泊業・飲食サービス業 58.4%
2位、生活関連サービス業・娯楽業 53%
3位、教育・学習支援業 50.7%
4位、小売業 44.4%
5位、医療、福祉 42.7%
友加里さんのような医療、福祉系は5番目で、長い労働時間と対象者との密な接触度、そこでの専門性やホスピタリティを要求されるにも関わらず、低賃金であることが問題視されています。
高齢化社会に突入し、まだまだ高いニーズのある介護職ですが、3年間の内に4割以上が辞めて行くのが現実です。
福祉業界において、良く言われるのが「三福祉士」と呼ばれる専門資格です。
社会福祉士(CSW)
精神保健福祉士(MHSW)
介護福祉士(CCW)
どれも、同じように福祉に携わる仕事ですが、それぞれ専門領域が違っており、社会福祉士は障害者や高齢者の社会全般の相談業務に携わり、成年後見制度の後見人としても認められています。
最も難易度が高く、独立開業も可能です。
精神保健福祉士は、精神面の相談業務に携わる専門家で、社福と同じく相談業務がメインとなります。
しかし、残る介護福祉士だけは入浴や排泄などの介助を始め、全体的に肉体労働が多くて低賃金なため、福祉領域でのカーストは最底辺だと言われています。
でも、実務経験が5年を越えて試験に合格すれば、介護業界最高峰とされる介護支援専門員(公的資格)、別名ケアマネージャーの道が開かれるのです。
利用者の相談業務はもちろん、プランニング、アセスメント、マネジメントと多岐にわたり、居宅介護支援事業所を独立開業することも出来ます。
そのように、キャリアアップを目指すことも、バーンアウトを避ける動機付けになるかもしれません。
しんどい職場なのに、なぜ笑顔で働けているのか
しかし、半数近くが振るい落とされる3年間を、いかに乗り越えていくかを考える必要もあるでしょう。
ここでの短期療法の視点は、むしろキャリアアップ意識が無くても、体力に恵まれず精神的に弱くても、あるいは他にも何らかのハンディがあったとしても、働いて豊かに幸せに暮らしているような人たちの存在です。
重労働でも、低賃金でも、ストレスが嵩んでも、例外は必ずと言って良いほど存在しているので、そのヒントを探し出すのです。
実際に、どんなに過酷と言われても離職率100%はあり得ませんし、業種が消え去ることも無いでしょう。
「あの人、しんどい職場のはずなのに、なぜ笑顔で活き活きしてるんだろう?」
「あんな状況から、どうやって今の暮らしを手に入れたんだろう?」
それを徹底的に観察すると、法則とも言うべきシステムが見えてくるのです。
では、友加里さんの状況を生み出したシステムは何か?
知らず知らず冒しているものは何で、見逃がしているものは何か?
偶然も、まぐれも、小さなきっかけも、その刺激に対して、どう意味付けて、どう行動したかが全てです。
それらを詳細に観察して見立て、テコの原理のように、支点、力点、作用点を見つけ出します。
そして、知らず知らず作られてしまった悪循環を止め、善循環システムを作るのです。
ゆえに、短期療法は最初の一手を極めて重要視します。
感情労働に勤しみ、仕事で気を遣い、友人知人や身内にも気を遣い、家族にも頼れず、傷付けられて報われることも無い…。だから、バーンアウト。
そんなステレオタイプに陥らないために、善循環システムを作るべきです。
こういう知識は、知っていると知らないとで大きな差が出ます。
解決へのカギ
友加里さんには、息子さんと共に、理解者と呼べる職場の仲間が一人いました。
その人もシングルでしたが、彼女には子供がいないことと、実家暮らしという点は違っていました。
子供や理解者の存在というのは、注目すべきリソースです。
他にも趣味や、経歴、資格や能力など、その人の人間性や歴史を感じさせるものは全てリソースになり得ます。
そしてそれらは、本人が無自覚だったり、ネガティブな印象を持っていたり、逆にコンプレックスだとしても、システムチェンジの要素になります。
実際、当時は苦労の種だった息子さんが、最も良いカギになってくれました。
「息子さんは、とっても優しくて親孝行ですね。」
「え!どこがですか?」
「実は、彼の行動には深層心理の本音が現れていると思われる部分があるのです。」
「なんですか?それ。」
「彼の〇〇な時に、××するというのは、△△の裏返しだと言えます。それは、こういう子の特徴として共通するものなんです。実際に、息子さんは□□という一面があるのも、その証拠ではないでしょうか。」
「!(絶句)」
「お母さんの背中を見て、その努力をきっと誰よりも理解しているからだと思います。」
「…そんな。」
「そこで、騙されたと思ってでも構いません。今日から必ず息子さんにあることをして頂きたいんです。」
介入が多少トリッキーなのは、結果を早めたいからです。
成人式の嬉し涙
数年後、友加里さんから嬉しいご連絡を頂きました。
『今日、〇〇(息子さんの名前)の成人式でした。
これまで色々ありましたが、この日を迎えられて親として胸を撫で下ろしております。
~中略
〇〇は、現在作業療法士(OT)を目指して勉強しています。
私と似た福祉の仕事を選んでくれたことは、嬉しく思います。
先日、苦労して育ててくれた恩返しをすると言ってくれました。
言葉だけでも胸一杯になりましたが、一生懸命働いて家を買いたいのだそうです。
照れくさそうに、私のためだと言いました。
嬉しくて嬉しくて、涙が止まりませんでした。』
※個人が特定できないよう、情報に配慮しています。
記事を書いた人 Wrote this article
Kondo
短期間で改善を起こす、ブリーフ・サイコセラピー派の心理師。 あらゆる問題の解決事例を持ち、超合理的に結果に導く。 臨床から産業、教育分野まで、幅広い実践経験を持つ。 専門家からの相談を受けるマスター・カウンセラーである。