不平不満、愚痴、悪口、不機嫌が不幸になる理由

 
悪い事件とか、悪い人が多いな。
あいつ大嫌い。
嫌だ。疲れた。だるい。下らない。めんどくさい。
こんな世の中は、どうにかすべきだ!
 

 

連日の世を賑わすネガティブなニュース。面倒な人間関係や仕事に追われる日々…。

つくづく生きるのは困難の連続だ、などと深刻な顔をする人はいます。

社会問題を声高に訴える人は、楽観的でにこやかにしている問題意識のない人を卑下します。

多少であれば、何かを悪く言ったりすることはストレス発散で、言いたいことを言ったり、嫌な相手にはっきりと伝えればスッキリして気分が良くなるというのもあるでしょう。

また、何かを「悪だ。良くない」と判断した時、自分が優位に立ち、「私の方が正しく、優れている」という感覚に浸ることが出来ます。

ただし、それを聞かされている方はあまり心地よいものではありません。

やはり、ネガティブな感情は良からぬ状況を生み出しかねません。

しかし、相談業務に携わるならば、日々こういった感情や言葉に向き合う必要があります。
そして、それに影響を受ける訳にも、まして「愚痴や悪口を言ってはいけません」などと教えを垂れる訳にも行きません。

それでは、不平不満を言う人を悪く言う、というパラドックスに陥ってしまいます。

ですから、なるべく客観的な根拠を基にこの悪循環構造をご説明したいと思います。

 

まず、脳科学的には何かをネガティブに考えると、脳内でストレスホルモンと呼ばれるノルアドレナリン(ノルエピネフリン)、コルチゾールが分泌されます。

ノルアドレナリンは、緊迫状態での攻撃や逃走原因の一部とされていて、血圧や血糖値を上昇させます。これは次々にコルチゾールを放出して、この量が多すぎると免疫機能の低下や、心血管の疾患などの問題を引き起こします。

精神的にも、孤独や疎外感を感じるとコルチゾールが繰り返し放出され、認識低下が加速し、誰かを否定的に考えると、記憶を司る「海馬」と呼ばれる部分を萎縮させることが発見されています。

共通して言えることは、ストレスホルモンは心身の痛みや苦しみ、様々な疾患、死の危険性を引き起こす要因だと言えるのです。

また、「脳は主語を理解できない」という性質を持っています。
主語が理解できないので、自分が発した言葉を全て 「自分のこと」としてとらえます

人間特有の知性的な活動を担当する「大脳新皮質」は 主語を認識できますが、感情を司る「扁桃体」のほうは認識できず、送られてくる情報をすべて鵜呑みにしてしまうのです。

相手の悪口を言って多少の気分の開放があっても、結果的に後々落ち込みやすくなるのはそのためです。

「あなたって性格悪いよね」→「私は性格が悪い」

「あいつは心が歪んでいる」→「私は心が歪んでいる」

他人の嫌な言動であれば距離を置いたり耳の塞ぎようはりますが、これは自分で自分自身を攻撃している状態なので、逃げようがありません。

また、他者批判は自己批判となり、自己嫌悪に陥ってますます人に対してネガティブで攻撃的になるという悪循環を生み出してしまいます。

当然、愚痴を言う人が好きな人はいませんし、「きっと陰では自分の事も悪く思っているのだろう」と感じられ、避けられるようにもなります。

始めは仲良くしていても、徐々に人が去っていくというパターンです。

人を恨めば自分が恨まれ、人を憎めば自分が憎まれる。

ことわざで言う、「人を呪わば穴二つ」には、このように根拠があるのです。

まさに、究極の自虐行為ではないでしょうか。

 

昔から、因果応報とかネガティブなことを考えているとそれが自分に返ってくるとか、鏡のように反射するというのは多くの自己啓発本や成功者たちの定番の主張でもあります。
それだけに、言うは易く行うは難しだと言えるのかも知れません。

しかし、身近に例外があります。

何かにつけて文句ばかり言う「不平不満の権化」でありながらも、大病もせず長生きな人たちです。ですが、状況を良く見てみると人を寄せ付けない孤立した存在であるように思われます。

長寿=幸福。そんな幻想はまったく現実的ではありませんし、逆に日々が不機嫌なものであれば、生きることそのものが喜ばしいとは考えられないでしょう。

あるいは、社会的な成功や経済力でさえ幸福度には深く関わりません。

仕事柄、成功者で不安症だったり、権威者でうつ傾向とかの方を見過ぎたせいで、行動と結果をシステムとして見てしまいます。

やはり、セロトニンやオキシトシンの幸福ホルモン系の分泌度という物差しで見ると、彼らは明らかにマイナスだと言わねばなりません。

とはいえ、ついつい目が行ってしまうのが「人の悪い部分」です。

それは、どんなに立派で素晴らしい人にでもほとんど存在しますし、人は完全なものを好む傾向があり、綺麗な球に付いたほんの僅かな傷が気になって仕方ないのです。

むしろ綺麗であればあるだけ、その些細な傷の方に注目してしまいます。

 

「あの子、美人だけど離婚してるんだよ」

「あの人、お金持ちだけど子供が不登校なんだって」

「彼は、優秀だけど人望がない」

 

このように評価するならば、自分に劣等感や妬みがあるということです。

これもまた、人の性でしょう。

これを逆転させるには、視点を変えてみることです。

事実は変わりませんが、見え方や「意味付け」は、自由に変えることが出来ます。

まずは、言葉を逆にしてみます。

 

「あの子、離婚してるけど美人だ」

「あの人、子供が不登校だけどお金持ちだ」

「彼は、人望が無いけど優秀だ」

 

これだけで、随分と印象が変わります。

そして次に、そうなった背景を熟考します。

 

「美しい容姿だからこそ言い寄る男性が多く、本当に合う人に出会う前に結婚してしまったのだろう」

「必死に仕事をしてきたからこそ、どうしても育児に多くの時間が割けなかったのだろう」

「あれほどの能力や知識を得るには、他人との交流などは後回しにせざるを得なかったのだろう」

 

これなら、言われた方も悪くは思わないでしょう。

そして、自分自身の脳も心身も守られます。

まさに、一石二鳥。

この作業を、「ポジティブ・リフレーミング」と言います。

 

誰だって、人の欠点に目が行きます。

誰だって、人よりも優位に立ちたいものです。

誰だって、ついつい人や物事を悪く言いたい衝動にかられます。

しかし、誰かを愚痴っている時、その相手はどこかで楽しそうに笑っているかも知れません。

そうやって不平不満を言っている間に運が逃げ、健康を害されているのは自分なのです。

 

どんな物事にも必ず良い面がありますし、どんな人にも必ず長所があるものです。

講演などでこれを話すと、指摘型の参加者さんはことあるごとに「例外」「逆説」などの意見を述べてきます。

「通り魔などの過失無しの被害者や、ヒットラーのような悪魔にもそれが当てはまるのか」等です。

ポジティブ・リフレーミングは考え方なので、いくらでも出来ると言うのが正直なところですが、これも言い方次第では相手にネガティブな刺激を与えてしまいます。

しかも、こういった方の特徴として、何度となく追及が続きます。

大切なのは、相手のプライドを守ることです。

「被害に遭われた方や、謂れなき差別によって亡くなられた方々の事を思えば、あなたの誠意に満ちた考えにきっと報われるでしょう」

 

「意味付け」はどんな時でも自由であり、偏った拘束から解放されます。

昔、受講生からこんなことを言われました。

「近藤先生って、苦しい時とか辛い時に、無理やり笑ってる気がするんですけど…、それって逆にすごくストレスになりませんか?」

……。

………。

「その一言で、ちゃんと見てくれている人がいるんだなって思いました。嬉しいです」

「だから…、そういうことです。無理してるのが見え見えなんです」

『ううむ。今、柔軟性について学んでいるのだ』

「では、どんな態度を取れば無理してないって伝わりますか?」

「例えば、ちゃんと意見するとか。人間らしく感情をぶつけてみるとか」

「なるほど。そうですね」

以降、指摘が数十分続く…。

 

しんどくなっていた頃、スーパービジョン(専門家を育てるための訓練)を受けていた講師から言われました。

「近藤さんが、良い講座をしてる証拠ですね」

「なぜですか」

「そうやって忌憚なく意見が言える雰囲気を作るという事が、実はとても難しいからです。一番良くないのは、受講生に意見することを躊躇させて、希薄な関係になってしまう事です。ですから、そういう意味ではその方は最も講師を成長させてくれる有難い人でもあるんです」

「!」

「でも、近藤さんはこれまで私に対して意見したことは一度もありませんね。その変わり、不満を感じたら即、私よりもっと良い講師を探されるはずです。上を目指す方ですから、私に学ぶ余裕などは与えてくれないでしょう」

「!!」

『あれこれ意見してくるクレーマーさえ、感謝すべき対象に変える』

意味付けは自由なのだと実感した瞬間でした。

 

それでも、愚痴や不満がとまらなかったら、自分のコンプレックスにしっかりと向き合うタイミングかも知れません。

 

 

 
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