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当然です。そうするために存在し、それで活用されます。
私自身も二十代から思い悩むことが増え、十数名の方に担当されてきました。
どの先生にもそれぞれの持ち味があり人柄も個性も別々でしたが、人生の中で得た掛け替えのない時間だったと思います。
友達や家族に話しても埒が明かないのが心の問題です。
「大丈夫だよ」の言葉が冷たく感じ、
「変わってるな」の言葉に傷つき、
「考えすぎだよ」の言葉に絶望しました。
良かれと思っての言葉も、優しさという押し付けも、慈悲という蔑みも、当時の自分には屈辱でしかありませんでした。
病んでいたのですから、感謝なども出来ません。
あるのは落胆だけです。
「誰も、何もわかってくれない…」
「誰一人、自分の味方じゃない…」
そうやって、自分の殻に閉じ籠るしかありませんでした。
最初は親身になって聴いてくれていても、次第に疲れが見えたり面倒臭そうな雰囲気になったり、やはり話し相手が素人では限界がありました。
そして、仕方なくというか物は試しというか、専門家の元を訪れることにしました。
最初のカウンセラーは、温かく寄り添ってくれました。
「それでいいんですよ」
「それがあなたらしさでしょう」
否定されたり責められることに慣れていましたから、衝撃的でした。
「こんなダメな自分を肯定してくれる人がいるんだ…」
思わず涙が溢れました。
「ああ…、初めて人に心を許せた」
見ると、穏やかで優し気なカウンセラーさんの目にも、うっすらと涙が浮かんでいます。
「ここへ来て良かった」
そう思えたのを覚えています。
さて、この“温かく寄り添う”という形容詞ですが、綺麗で耳触りが良い反面、主観的で定義することは難しいです。
一体何をすれば「間違いなく寄り添った」ことになるのかは不明瞭です。
相手がそう感じたらそれが全てで、逆にどれだけ「今私は全力であなたに寄り添っています」と言ったところで勘違いになります。
しかし、世のキャッチコピーには、この手の「雰囲気形容詞」が多用されています。
愛情を込めて
いたわりの真心で
温もりのサービスを
誠意あるおもてなし
癒しの〇〇
それらは結局、不確定で曖昧です。
言われてみると、そして文字にして読むと「きっとこんな感じじゃないかな?」という想像が起こりますが、実際は何のことだかさっぱりわかりません。
愛情って何?
癒しって何?
だから、そこに認識の違いがあると、
思ってたのと違う…、言ってたのと違う!が起こります。
だから、より具体的にお互いが「何をするのか」や「何をしてほしいか」を告示することが求められると思います。
私の担当者だったカウンセラーは、全ての話を集中して聴き、うっすらとした悲し気な表情で頷きつつ、「それでいいんですよ」という類いの肯定、承認を言葉にし、時には涙を浮かべました。
これが、“温かく寄り添う”と感じさせた言動の中身です。
同時に、当時の自分にとっては必要なものであり、心の底で求めていたことだったんだと思います。
これをメタ認知と言います。
今にして思えば、あの時の自分はそれで満足だったでしょう。
しかし、その後何人ものカウンセラーやセラピストを渡り歩きましたから、どこかで納得できていなかったのも事実だったと思います。
話を聴いて涙して欲しいわけではなく、もっと違う何かを求めていたんです。
いつまでも誰かを頼っていたくなくて、自らの力で問題を乗りこえる方法を知りたかったですし、それによって充足感を得たかったのです。
「ああなりたい、こうなりたい…、でも、その方法が分からない」
コーチングやコンサルティングの方が向いていたのかもしれません。
しかし、「次にこれをしましょう」と背中を押されても付いていくことは出来なかったでしょう。
言い訳や「でも、だって」は、いくらでも言える状況でしたし、ポイントは説得力の有無です。
こういう相談者に対する方法はおのずと絞られてくるものですが、悲しいかなどのカウンセラーもその対応をしてくれませんでした。
正直、単純なニーズだったとは思いますが、そこに難しさがあったのでしょう。
前提として依頼者側が、味方や協力者として相応しい人を選びます。
ですからカウンセラーは、選ばれるために積極的に何かをしなければなりません。
こちらのメタ認知を読み、的確な言葉で伝えなければ、決して悩める人の固く閉ざされた心の扉は開きません。
「味方」や「協力者」にも同じく具体性はありません。
そして、それを勘違いしていたら不利益です。
ですから、いつもお伺いを立てます。
「実際にどうなれればよろしいですか?」
「具体的に何があれば、今日来て良かったとお感じになりますか?」
これで勘違いしなくて済みます。
「言わなくても、それぐらい分かってよ!」
これは無理です。
思い込みや錯覚は人の特性なので避けなければなりません。
自分探しと言いますが、何事も答えは自分自身の中にしかありません。
曖昧な形容詞を分解して、より具体的にしてみれば明確になります。
「自分は、何をどうしたいんだろう?」
「なぜそれを求めるんだろう?」
更に突き詰めるならば、
私が生まれ持った適性や能力とは何か?
私にとって本当に必要なものは何か?
自分のことは自分が一番よく見えないものです。
だから、時には客観的視点や誰かの協力が必要な時があります。
そして、気付くことは建設的な行動の第一歩となります。
悩みにや問題にも、全てのものに意味はあります。
では、あながカウンセリングを受ける意味はなんでしょう?
それが分かれば、あなたの味方になって協力することはとてもスムーズです。
依頼内容が明確なら、早速心理相談へ。
記事を書いた人 Wrote this article
Kondo
短期間で改善を起こす、ブリーフ・サイコセラピー派の心理師。 あらゆる問題の解決事例を持ち、超合理的に結果に導く。 臨床から産業、教育分野まで、幅広い実践経験を持つ。 専門家からの相談を受けるマスター・カウンセラーである。