堂々巡り“悪循環モデル” 

堂々巡り“悪循環モデル” 
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不登校を例に考えてみましょう。

ある日、子供が学校に行かなくなったとします。

そして、私が「お子さんにお会いする必要は、まったくありません」というと、大抵のご両親は不安そうな顔をされます。

本人と直接会わずに、一体どうするっていうの?
それがカウンセリングって言えるの?
その疑問で、頭の中は一杯になるのでしょう。



 

子供の言い分は、

「ちょっと気分が悪くて…、学校行けない…」

仕方なく、休ませて診療を受けると原因は不明。医師は、「精神的なものではないか」といいます。
なぜだろう?何かあったのかな…?
本人に聞くと、ただ黙ってうつ向いています。

 

様々な原因らしきもの

子供の周辺を調べると、どうやら学校に「悪い子」がいることが分かりました。
その子からいじめられているのでしょうか?
またある人から、「先生の性格がひどく、子供たちから“鬼”と呼ばれている」と聞きました。もしかすると、その怖い先生のせいでしょうか?
また、ある人からは、それは「親のしつけのせいだ」と言われました。
愛情不足とか、育てかたに問題があったのでしょうか?

他にも、もっと沢山の原因らしきものが見つかりました。
でも、子供は閉じ籠ったままです。
仕方なく、市の相談所に行くと「しばらく様子を見るように」と言われました。そして、半年が過ぎました。
でも、子供はまだ学校に行こうとせず、ますます元気を失ってきました。

困り果てて、好きなゲームを買ってあげたり、外に連れ出して買い物をしたり、レストランで食事をしたりもしました。ある人から紹介されて、お寺や教会でお祈りしてもらったり、お守りも買いました。
占いもやったし、スピリチュアルな先生にも診てもらいました。



でも、すべて気休め程度でした。
どうにかしなければと、本を読んだり、カウンセリングに連れて行ったりもしました。
でも、状況は変わりません。
そのせいで、家庭の中に笑顔が無くなりました。

夫は、「お前が甘やかしすぎたせいだ」と責めてきますが、納得できません。
夫のほうが、子供に対して良くない関わり方をしていると思えて、言い争いも増えてしまいました。
それが、子供にとって一番辛いことだというのは分かっているつもりでも、夫が傲慢なので止められません。

でも、とにかくこのままでは、この子は学ぶこともせず、働きもせず、やがてニートになってしまうかもしれません。

「ぐずぐず言って、ダラダラしていて、言い訳とワガママ、そのくせ威勢よく反抗して、口答えだけは達者だし…」
「この子、何一つ自分の力では解決できないのかな…」
「他の子より何かが劣っていて、親の援助がないとやっていけないのかな…」
「やっぱり、私の躾が間違っていたのかな…」

あなたなら、どうしますか?

 

理由探しよりも対策

ポイントは、「人は、動かそうとすればするほど、逆に、悪循環に陥る」ということです。
かといって、「じゃあ、学校に行かないでも良い」では、状況はさらに長期化するでしょう。
それで問題が解決するほど、人間は単純ではなさそうです。

他人事だと思ったあなた。あなたにも、きっと悩みはあると思います。
そして、これまで散々、なぜだろう?や、どうしよう?を繰り返してきたかも知れません。

そこで、ポイントの1つめが、「理由や原因の情報収集は、無駄になることが多い」、ということです。
でも、こんな状況が短期家族療法なら、なぜ簡単に改善するのでしょうか。
それは、本当だと思えますか?

理由は、視点の違いにあります。

「問題」や、「原因」を見ていては、いたずらに時間がかかるだけです。

できない理由は、どんどん出てきますし、仮に原因らしいものが見つかったとしても、それだけでは建設的とは言えません。
子供が学校に行けないのは○○が原因である = 問題解決。ではありません。
もちろん、従来のカウンセリングのように、しっかりと悩みを聴き、認めて受け止めるという時間は必要ですが、そればかりでは援助に遅れが生じてしまうでしょう。

理由はどうあれ、まず、「どうすれば、学校に行くようになるか」あるいは、「どうすれば、依頼者のニーズを果たせるか」から、スタートする必要があります。しかも、今までに試みられた成果につながらなかった方法は取りません。

これまでに試みたすべての方法は採用せず、より結果に繋がるものを探し出す必要があります。

 

人は多面的

人間は、単純ではなく複雑で多面的です。
悪い性格というレッテルも、弱い性格という自覚も、苦しいと感じている環境も、個人的な認識ですし、「いつも、永続的」では決してありません。だからこそ、次にやることは、「この事(人)の良い点は何か」を見ていきます。

「悪い子」だとレッテルを張られたある男の子が、テストにきれいな字を書いていることは、よく見ようとすれば見えてきます。
「弱い子」だと意味づけられた子が、拾てられた猫を助けて世話している姿は普段は隠れていてとても見えずらいものなのです。



 

ポイントの2つ目が、どんな物事にも、今までに「少しでも良かった状況、場面」という例外は必ず存在するという事です。
それにフォーカスし拡大していくとき、その「弱い子」は自分の価値に初めて気付くのです。
自分には、「命を大切にする優しさがある(弱いんじゃないんだ)」と。

そして次に、円環的にこれまでの出来事を見ていきます。
円環的というのは、堂々巡りのことです。
例として、「親がうるさいから反抗するんだ」という子供と、「子供が反抗するから、うるさく言うんだ」という親の視点が循環している様子を指して言います。
親同士であれば、「妻がヒステリーだから関わりたくない」という夫と、「夫がいつも逃げるからヒステリーになる」と、言い争う状況のことです。

悪循環モデル



この場合、どちらにも言い分があり、「そっちが悪い、こっちが正しい」という水掛け論になりがちです。
子供が親に依存しているのか、親が子供を依存させているのか…。答えは堂々巡りです。

その観点から、何が原因とか、どちらかが被害者で、どちらかが加害者だとか、○○のせいで…など、片方からの直線的視点の言い分で見ず、「赤」という行動は、「青」という行動となって返ってきている、という事実を見ます。
そして、この悪循環を断ち切り、まったく違う、問題の無い循環を作り出すのです。

 

心理業界の職人技

簡単に書いていますが、これが専門家たちからも難しいとされていて、「戦略的、技巧派カウンセリング」とか、「職人技」だと言われる所以です。
ありがたい褒め言葉ですが、確かに2つの点において突出していると思います。
一つは、改善までの時間が圧倒的に短い(シンプルな提案で済む)こと二つめは、公的な研究機関(学会、大学、研究施設)などでの実証データがあること。

ネガティブな事があるとすれば、「いつの間にか、なぜか良くなっていた」という実感を伴わない方法であることと、カウンセラーが熟練するまでに多くの時間を要するということです。
ちなみに、私自身もまだ十数年の経験しかないので熟練者とは程遠いです。でも、流派の技術的な卓越性だけは他に類を見ません(より良いものが見つかり次第もちろん鞍替えします)。

 

断片的な評価、意味付けを疑う

対人援助の真の目的は、現状の悩みとか状態だけを診るのではなく、人間の本当の価値を引き出し活性化させることだと思っています。

自分にはどんな価値があるのか。
多くの人はそれを知らずに生きています。
もしかすると、そんなものは無いと勘違いしているだけかもしれません。
「親が馬鹿だと言っていた」から、「友達に弱虫だと言われた」から、「彼氏に重い女だと言われた」から、「社長にやる気がない奴だと言われた」から、
ある一面だけを見て、そんな風に評価されるかもしれません。
そして、長い間心の奥底で信じ込み、そんな自己評価に縛られてきたとしても、あきらめてしまうのは間違いです。
本当の価値は、もっと別のところにあるものだからです。

親を困らせて、意気地なしで、弱いくせに生意気で、言い訳ばかり言って言うことを聞かないで、逃げてばかりで…。あれも出来ないし、これもダメ……。
もし、そんな風にしか見えないとしたら上辺だけを見ているからかも知れません。

表面的には、「学校に行けない子」は、どんな多面性を持っているでしょうか。

 

親は子供に教えられるもの

また、子供は親や保護者に影響されるので、まずは手本や見本を見せてあげてください。

子供は見たものや経験したことから学ぶものです。逆に知らないことや見たこともないことはできません。

「こういうときはこうすればいいんだよ」

「こういう人には、こんな風にすれば上手く行くよ」

自分に出来ることを押し付けるのではなく、その子の個性や能力に合わせて適切な助言をするのです。

実に骨の折れることでもあり、親自身の指導能力の向上に繋がります。



 

教えているようで教えられている。

親にとって、子供は一番の先生です。

 

 

 

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