コロナ陰謀論 ~多角的視点の強み

 

闇の組織が、世界を支配している

 

 

Qアノンとコロナウイルス

 

「Q」を名乗る陰謀論者(組織)がネットに書き込みをして、多くの信奉者が集まりました。

彼らは、ディープステートという陰の政府が世界を裏から動かしており、秘密結社や巨大財団を成して、巨万の富と権力体制を築いた。そして金融資本主義などのイデオロギーや仕組みを作り出し、天候や自然現象をも人為的に操作し、自分たちの思い通りに世界を動かしている。
コロナウイルスを広めて人口を削減し、更にワクチンに非常に小さいマイクロチップを混入させて、体内から意識や考えまでもコントロールしようという企みがあり、製薬やITなどの名だたる巨大企業も裏でつながっている、というもので、この信派は「Qアノン」と呼ばれています。

デモなどを通じて世界的に影響力を広げ、日本でもJアノンとして問題視されています。

 

“売れる情報”が広まる

 



 

このような陰謀論は、フリーメーソンやイルミナティ、ユダヤ金融資本など過去から連綿とありましたし、特に目新しいものではありません。
今回のコロナ関連は、まさしく世界の日常を一変させるインパクトがあったので、まことしやかなフェイクニュースがあちこちで勃興したのでしょう。

そもそも、メディアやマスコミが、本当に真実や事実を伝えているのかは疑わしく、ご存知のように視聴率やスポンサー、広告主や購買者によって成立していますので、「売れる情報」にしかスポットは当たらないようになっています。
マスコミは、何かについて「それはデタラメだ!」と言うことも出来るし、反対にニッチを狙って「〇〇は存在する!」と叫ぶことも出来ます。要するにどちらにしても売れるからだと思われます。
あるいは、政治的なプロパガンダという見方も出来ますが、これも陰謀といえばそうですが、歴史的には権力側の常套手段でもあったのです。

 

人は、信じたいものを信じる

 

とかく人はご都合主義の一面があり、自分にとって都合の良いことを信じたがり、都合の悪いことを排除します。

 



 

A、実家暮らしで引きこもりの青年が、「資本主義は陰謀だ!」と叫び。
B、成果が出せない女性社員が、「性別格差が著しいブラック企業だ!」と憤ります。
C、はたまた、家族を顧みない男性が、「結婚は人生の墓場だ」と嘆き。
D、妻や母として努力を怠った女性が、「学校や夫のせいで子供が不登校になった」と悲嘆します。

 

このように見ていくと、私たちは個人としての主観でしか世の中を見ることが出来ないようです。

そして、一度信じたことは、批判や反論を受けるたびに逆に強固な信念へと発展していきます。この現象を「バックファイア効果」と呼びます。

人間の性だといっても良いかも知れませんし、これも何かの陰謀なのかも知れません。

 

“意味付け”が人生観を作る

 

物事に触れて、それをどのように意味付けるのかは個人の自由です。

 

A、「この青年は、親のすねかじりをして甘えていたいんだろう」とか、「裕福な子息で、独学に勤しんでいる」とか。
B、「自分の能力を高める努力を怠っている」とか、「力を発揮すべく、環境から正そうと声を上げた」とか。
C、「家庭人としての資質が足りていない」だとか、「勤労の果てに、実生活の課題に気付いた」とか。
D、「社会性に乏しく、教育スキルが低い」や、「状況分析と問題提議が出来る」というものです。

 



 

何かが起こると、私たちは必ず「意味付け」をしますが、結局は偏見です。
環境や生い立ちの中で見聞きした情報によって選ばれるものだと言われ、実際は科学や一般論、常識でさえ異論反論は必ず存在しますが、それぞれに独自の正否良し悪しなどが付与されるのです。

それは、学ぶ、働く、恋愛や人間関係、人生観全体も「意味」が与えられた結果だという事が言えます。

 

「勤勉は大切だ ⇔ 要領の良さが大切だ」
「結婚して家庭を作りたい ⇔ 生涯独身で自由に生きたい」
「科学や医療は正しい ⇔ スピ系や代替医療もありだ」
「大切なのは思いやりだ ⇔ 大切なのは経済力だ」

 

それは無意識的に形作られ、ほぼ一生涯の信念となって定着するので、価値観や物事の捉え方の不一致は避けられないのです。

 

多角的に観る重要性

 

しかし、対人援助の際に、援助者がこれらの偏った信念を抱いてしまうことは非常に危険です。

極端な事を言えば、パワハラの被害者に寄り添った10分後に、その加害者にもお話を聞いて歩み寄ることが求められます。

もっと言うと、キリストを称えた翌日、釈迦に合掌する必要も有り得ます。
しかも、心情としては、かなり前向きに。

このスタンスが持てると、あらゆる事象を多角的に多面的に見ることが出来るようになります。

 



 

これは、言うなれば革新的な自由を得ることと同じです。

「どちらも正しいと言えるし、そうでないとも言える」
「両者ともに、一理ある」
そして、「全体として現状を維持し、良いバランスを保っている」

「問題」や「悩み」ですら、本気でそのように(一方向から見て)思い込むことがなくなります。

 

よほど訓練を重ねなければ、自由な意味付けは獲得できるものではないかも知れません。

しかし、無益な論争や妄信に巻き込まれず、その都度地形や大きさに合わせて変幻自在に形を変える水のようになれるでしょう。

 



 

 

そもそも、極端に社会や人類が何かに、どちらかに強く偏ったら……、もう危険でしかありませんね。

 

ん?ちょっと待ってください。

じゃあ、陰謀論だって一理あるのでは?

…確かに、この世に陰謀などは存在せず、すべては明るみになっている、というのも近視眼的ですね。

ディープステートがあるとしたら危険かも知れないし、もう一方で、社会を秩序的にまとめてくれているのかも知れません。

 

節操のない移ろい転じる手の平返し?

日和見主義の風見鶏のようでしょうか?

されど、…これこそが柔軟な立ち位置としては、ベストではないかな……と思います。

 



 

 

 

 
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