マイノリティを活かす ~厄介な嫌われ者が創る世界

マイノリティを活かす ~厄介な嫌われ者が創る世界
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あの人、変だよね…。

ちょっと普通じゃない奴だ。

〇〇だから絶対関わりたくない。

××だし、目障りだから消えて欲しい。

 

…彼は、何もしていない。

ただ、存在するだけでそのような扱いを受け続けてきた。

しかし、それに抗う術も無く、手を差し伸べる者もいなかった。

 

なぜなら、彼はマイノリティ(少数派)だから。

 

差別と偏見

 

差別を無くそう!平等な世の中を築こう、というスローガンは2つの事実を示しています。

 

1、差別は存在している。
2、差別を無くすことは容易ではない。

 

そして、前提として、「差別は間違った事である」が明言化されていますが、これを浸透させて解消する事がいかに難しいか、というのも人類の歴史です。

日本にも、古くは士農工商という身分制度がありましたが、目に見えないカーストは現代でも無くなってはいません。

 

誰の子で、何を持っていて、何をしているのか。

職業、地位、収入、知性、容姿、環境、病気や障害の有無、個性など、自分と他人を比較し、優劣をつけたがるのが人間の本質なのかも知れません。

 

黒い羊

 



 

集団の中で上手く溶け込むことが出来ていない人を、グループの一員として認めずに排除しようとすることを、心理学では「黒い羊効果 (Black Sheep Effect)」 と呼んでいます。

人は、自分が所属する集団が他集団よりも優れているという思い込みを抱きます(社会的アイデンティティ理論)。

そして、その枠組みに準じて、グループ内において好感を持つ人物のことを特にひいき目に評価し、逆に基準から逸脱した者に関しては、他集団のメンバーよりも低く評価するようになります。

そうやってマイノリティな人物を排除することで、自分の所属する集団のレベルを下げないようにという心理が働くのです。

 
お前なんかと一緒だと、こっちまで低レベルだと思われるんだよ!
 

これも、いじめや仲間外れの構造だと言えるでしょう。

 

匿名の暴力

 



 

障害者差別解消法が施行されてからも、障害やハンディキャップを持つ方で健常者による差別を受けたとか感じたという意見は少なくないと思います。

ある調査では、日常生活において「差別や偏見を受けた」と感じている人は59%に及んでいます。

身体的な障害だけでなく、知的や精神などの目に見えない障害や誰にも気付かれないものを含めると、人口の7.6%が何らかの障害を持っていることになります。

その他、特殊な個性、独自性を持つマイノリティの方は、同様の「生き辛さ」に悩まれているものです。

そして、心理的な援助の現場では、これらの方々に接することが非常に多く、世の中の差別や偏見に対する現状はさほど改善してるとは言えないように思われます。

いや、残念ながらもっと水面下で陰湿化しているとさえ感じてしまいます。

 

つぶやくような悪口や薄ら笑い。

人伝に聞こえてくる侮辱や蔑視。

無言の拒絶感や、無視。

 

直接的な言葉や行為ではなく、雰囲気や気配としての疎外感になど到底太刀打ちすることはできません。

え?勘違いでしょ?

受け取り方に偏りがあるんだよ

被害妄想じゃないの?

 

SNSやネットなどの匿名性も一因だと思いますが、「言論の自由」というルールの中で、黒い羊たちは誹謗中傷や言葉の暴力を受け続けている事でしょう。

 

マジョリティに理解を求める不毛さ

 

状況は淡々と継続しますし、政治や社会システムによる変化をただ待っているのは得策ではありません。

正論や正攻法で世情が変革するなどと楽観視も出来ず、マジョリティの理解を得ることも容易ではありません。

とはいえ、あきらめて引きこもっても、新天地を目指したり改革を始めるのもそれなりにリスクが大きいように思います。

「我が道を行く!」と達観を気取っても、多数派による冷ややかで屈辱的な扱いが変化することは期待できません。

そういった勇気ある涙ぐましい努力が報われることは残念ながら稀ですし、そもそも多数派にとっては、少数派の声に耳を傾ける事より目の前のことで精一杯だったりします。

 

みじめな連中が何か騒いでるけど、別にどうでもいいよ…

忙しいんだよ。迷惑だから向こうでやってくれ!

 

大衆の本音は、“何も行動に移さないこと”に顕著に現れています。

 

そして、向こう側にも「誰かを嫌ったり遠ざけても良い」という自由があります。

日々の集団の圧力は、それ程甘く考えていてはいけないストレス因子だと言えます。

自分自身や大切な人を守るためには、より具体的で効果的な対策を講じなければなりません。

 

マイノリティでポジティブ

 



 

ここで、短期療法の視点では、「マイノリティでもポジティブな人生を獲得している例外の収集」ということになります。

障害があろうが、肌の色や国籍が違おうが、貧しかろうが低水準の教育環境だろうが、そんなことを意に介さず毎日を前向きに生きている人たちが何をしているのか?

具体的にどんなことをしているのか?

こうなるために一体何をしてきたのか?

この人が、この経験を通じて得たサバイバル・スキルや能力は何か?

 

そこに大きなヒントが埋もれているのです。

 

私の知る限り、例外は意外とパターン化しており、彼らがそこまで特別な事をした訳でもありません。

必死に成果を出したり、人間性を変えることでも迎合して媚びることでも無く、大掛かりな環境変化を求めたり費用が嵩むということでもありません。

それらはほんの小さなきっかけであり、見落としていたものに焦点を当てた確かな一歩=行動があるだけなのです。

 

コンプレックスに光を

 



 

ありきたりで普通なものに、人は関心を示しません。

稀有で特別な人物は、集団の中で浮きます。それは目立つからです。

また、それを理解したり受け入れることが出来ない人々は、彼らの存在を遠ざけて身の保身を得ようとします。

普通でメジャーな私たち 対 それ以外のマイナーな連中

個として生きていけない人間の社会は、誰もが少しでも居心地の良いグループに入ることに必死になっているとも言えます。

 

これを逆の視点から見れば、マイノリティならではの経験、能力には大きな資源が眠っており、黒い羊である事は逆に「価値、魅力」になり得るということです。

 

かのアインシュタインもピカソもモーツァルトも、イチローもS・ジョブスもE・マスクも障害者です。

我々の心理業界でも、魔術師と称えられるカリスマ、M・エリクソンが多重障害だったことが有名です。

彼らが幼かった頃、普通の子供たちとどうやって遊んでいたでしょうか。青年期に、どんな日々を送っていたでしょうか。

あまりにも個性的で、浮いていたり孤立していた可能性は否めません。カッコ良く言い換えれば、天才ゆえの孤独です。

 

普通ではないコンプレックスこそがパワーになり、それまでの苦しさ、不条理、屈辱をバネにして偉業を成し遂げることは良く見られます。

苦労人のサクセス・ストーリーは、いつの時代も人気のあるコンテンツですが、実際に、「見下されてきた惨めさを見返してやるぞ」というのは大きな力を生み出します。

それは恥ずかしいことだと思う人もいるでしょう。

ハングリー精神だと称賛する人もいるでしょう。

その結果に満足できれば、どちらでも良いのかも知れません。

 

かくいう私も、理解者も友人も少ない黒い羊側の端くれでしたから、同類の方の背中を押せた時は、ほんの少しだけ自分らしさを大切にしたいと思えます。

 

 

マイノリティーであることを活かしたいと思ったら、心理相談へ。

マイノリティとの共生を仕組化したいなら、心理コンサルへ。

 

 

 

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