バラと催眠 ~現代催眠とは何か



 

薔薇よ。

おお、純粋なる矛盾。

多くのまぶたの下で、誰の眠りでもない、喜び。

 

この、様々に読み解ける謎めいた詩は、オーストリアの詩人、ライナー・マリア・リルケが遺言として残した墓碑銘です。

私が影響を受けた師の一人が、良くこの詩を語ってくださいました。

その方は、エリクソン派催眠の第一人者であり、心理臨床のスペシャリストでもあります。

 

催眠療法というのは最も古い医術でありながら、時代と共に段々とマジックや奇術と同列にされ、怪しく胡散臭いものとされがちでした。しかし、米国の医師M・エリクソンの貢献によって、一気に科学として再認識されるようになったのです。

その結果、エリクソン以前の催眠を「古典催眠」と呼び、エリクソン以降の近代化された催眠を「現代催眠」と呼んで、明確に区別されるようになりました。

催眠は、派手に演出されたステージやテレビなどで行われる「ショー、エンターテイメント」として知られていたり、年齢退行や前世療法などの過去を見せるセラピー、ポジティブな未来を想像させる未来派などその歴史は古く、一般の方にとっても様々なイメージがあると思います。

そして、あなたが催眠に期待することは、正直このようなものではないでしょうか?

 
椅子から立てなくなる。
一瞬で眠る。
辛いものが甘くなる。
自分が動物になったと思い込む。
 

こういった不思議な現象を映像で見たとします。

すると、関心を持った方は自分も体験してみたくなります。

 

催眠術に掛かれば、苦手なものや過去のトラウマを消してもらえるのではないか?

もっとパワフルでポジティブな人間に生まれ変われるのではないか?

心は、人にコントロールしてもらえるのではないか?

 

しかし、本当にこういったことが誰にでも起こるのであれば、科学的な検証が入り、もっと社会で活用されているはずです。

あるいは、もっと日常的に安価で催眠を受けられて、多くの人が健康で健やかな毎日を過ごせるようになっていなければおかしいです。

何よりも、催眠を使う専門家たち自身が思い通りの素晴らしい人生を送っていなければ、絵空事に感じてしまいます。

催眠療法士と名乗っていた頃、ある人から言われました。

そんなに催眠が凄いなら、自分自身に使って証明して見せろ。
出来っこないだろう。
だからいかさまに決まっている。

その指摘はもっともです。

では、あなたの周りに、実際に催眠の恩恵に預かった人は何人くらいいますか?

あったとしても、きっと人づてで具体性の無い「効くらしい」などという噂の類ではないでしょうか。

それでも、一般の方は「催眠」の効力を強く信じがちです。

この業界の実情をよく知らないからです。

 

催眠を十数年以上学び、実践してきた経験から申し上げます。

実は、あなたが知っている現象的な催眠というのは構造もシンプルで、割と誰にでも身に付けられるものです。

ちなみに私は、DVDを1枚見ただけである程度テレビで見るようなことが出来るようになりました。

もちろん、催眠療法家としての経験があったという前提がありますが、それくらいシンプルなのです。

ただし、行動を支配しているかのように見える現象は、どんなベテランの手によっても5~6分程度で自然に解けてしまい、長期的な変容は起こせません。
椅子に座ったまま二度と立てなくなることはありませんし、ワサビを一生甘く感じるなどもあり得ません。

また、掛かる人と掛からない人がいて、被暗示性という個人的な資質に左右され、どんな経験豊富な催眠術師でも、掛からない人には全く掛けられません。

残念ながら、掛かりやすい人だけが映し出され、それがまるで「他人に心がコントロールされている」かのように視聴者に伝わっているだけなのです。

 

そしてそれは、催眠療法の世界にも共通します。

心のケアとして癒しが起こるかどうかも個人の適正に委ねられ、暗示に掛かって長期的変容が起こせるかということになれば、更に不確定です。

出産や抜歯時のペインコントロールなどに用いられることもあったり、人間の未知なる力を目覚めさせられるなどと、確かに一部では熱烈な信奉者がいらっしゃいます

しかし、その学術的なデータや根拠はほとんど存在していません。

ずっと信じて励んできた者としては、とても残念ですが…。

 

一方で、エリクソンは数百件の論文を書いて学会発表をし、多くの臨床に携わって治癒や改善を成功させています。
更に、その方法を伝えるため、全国で指導を行いました。

この類い稀な才能を持つ医師の努力によって、催眠が科学的なポジションを得てからもう50年が過ぎようとしています。

催眠近代化の父ともいえる技法「現代催眠」は、すでに業界内では当たり前のものとなりました。

しかし、やはり実践者となると数が限られます。

 

催眠療法を学び、カウンセリングやNLPを学び、他に何か役立つものは無いか?そう考えていた矢先、ご紹介を受けたのが、件の「現代催眠」の名付け親であり、普及活動を行っていた先生でした。

古典催眠との違いは、人と人との関係性に着目し、催眠をコミュニケーションとして捉える点にあります。
先生は、相手の主体性を尊重した安心できる深い交流こそが現代催眠だ、と度々仰っていました。

そして、一見柔和な紳士であり和やかに進む講座の裏側には、深い洞察と経験による「言動」のマジックが隠されていたのです。

ある日の受講中、熱心にご指導頂いているにも関わらず、疲れていたのかついうとうととしてしまったことがありました。

昔から、退屈な授業中などよくこうしてうたた寝をしたものでしたが、このような真剣な学びの場であってはならないことだと、すぐに先生に謝罪をしました。

「申し訳ありません。うっかり寝てしまいました」

「はははは。いいんですよ」

その日は、その後もボーっとしてしまい、せっかくの講座内容がほとんど頭に入りませんでした。

そして次の受講日にも、あろうことか同じようにまたうたた寝をしてしまったのです。

「先生、申し訳ありません。以後気を付けます」

「いいえ。むしろ良く学んでいらっしゃいますよ」

「は?…はぁ…」

何かおかしいと感じ、先生に問いました。

「もしかして、何かして下さっていますか?」

「ええ。そのように配慮させてもらってます。近藤さんは臨床に携わっていらっしゃる方なので、深層レベルでの学習の方が良いかと思います」

「!」

 

実は、私のニーズに合わせて、講座全体の中で「知らず知らずのうちに」催眠的な働きかけをして下さっていたのです。

何気ない普通の会話をしているかのようでありながら、水面下で誘導が行われ、意識が混濁してゆく。

その時、日常的な顕在意識は退行して潜在意識が表面化してくるので、まるでうとうととしているかのような状態となりますが、私の無意識は先生の言葉にしっかりと耳を傾けているのです。

それは、まさに「現代催眠」の姿でした。

ぼんやりとしている状態の脳波をアルファー派と呼び、その時に見聞きした情報は理性的な意識を通過して深層意識に刻み込まれる。

その昔、睡眠学習機という怪しげな機械がありましたが、この理屈自体は馴染みのあるものでした。

サブリミナル効果や就寝前の瞑想、寝起きのモーニングクエスチョンなど、どれもが似たような効用を説いています。

 

思えば、先生は講座中にふと脈絡もなく昔話などをされました。

「ずいぶん昔のことですが…、フランスを流れるセーヌ川の畔で……、ある、詩人の姿が度々見かけられたのです。………。その詩人は、“薔薇の詩人”と呼ばれ……、いくつかの逸話と共に、様々な印象を…、深く…、私たちに残しています……」

このようなゆったりとしたペースで語られ、どんどんと登場人物やシチュエーションが変わり、更に口調も声も徐々にペースダウンしていきます。
やがて、何の話だったか、それが何を意味しているのかさえ良く分からない状態になっていくのです。

 
今、あなたが座っている、その場所に、あなたの体温が、少しづつ移るように、また少しづつ何らかのイメージが、脳裏に浮かんでは消え…、

それがいつか見た場面の、懐かしさの一部であるかのように、穏やかさや感傷的な感覚、そして誰かの声にも似た、その紡ぎだされる温かな言葉に…、

新しい何かが、心の奥で沸き起こっている、この心の移り行く景色さえ、それと同様に、どこまでも広がっていくようでもあります…。
 

文法的に破綻しているこの文章には、そこはかとない文脈的な意味や前後の繋がり、「その、それ、これ」が指し示すもの、想起されるイメージや音、感覚などがあり、ある意味忙しく揺り動かされます。そして、顕在意識は次第に理論的に思考するという働きを放棄し、その時点で潜在意識へとバトンタッチされます。

 

前提として、私たちの理想や希望は頭で考えて意識的に叶えられることばかりではありません。

意図的に「今は嫌いだと感じている仕事(人)を頑張って好きになる」ことは難しいですし、

頭では思い描いている「心身ともに健康的な生活をして、温かく笑いの絶えない家庭を作り、豊かで充実した毎日を送る」ということも、そんなに簡単ではありません。

痩せたいと言って食べ、貯金したいと言って無駄遣いをし、癒されたいと言ってストレスを抱える生活をします。

このように、人間は矛盾する生き物です。

それもそのはずで、顕在意識と潜在意識のパワーバランスは1対9で、圧倒的に潜在意識が有利だからです。



 

成果を出すために重要なのは、無意識・潜在意識だと言えます。そして、その無意識との交流を行うために催眠が有効だというのが定説です。


…薔薇よ……。

…おお……、…純粋なる…、矛盾……。

…多くの…まぶたの…下で……、…誰の…眠りでもない……、…喜び………。

そして、このリルケの詩だけが何となく意識化され、後に続く情報については無意識領域に達しているということが言えると思います。

その時、対外的には寝ているように見えますし、自分自身でもまるで眠っていたように感じていますが、正確には眠ってはおらず変性意識状態になっているのです。

 

初めて体験する現代催眠は、まるで狐につままれたような感覚でした。
いつの間にか、知らず知らずのうちに催眠誘導が行われていくなんて、本当に凄い技術だと思いました。

その後も、講座中に幾度となく眠りに落ちてしまった私は、先生にお願いして意識的にもきちんと理解しながら勉強を進めて行きたいと、授業の様子をビデオカメラで撮影する許可を頂きました。

その為だけにカメラを新調し、さあ準備万端というところで講座がスタートしたのですが…、何と撮影ボタンを押すまでもなく、いつの間にか落ちていたのです。

これには自分でも参りました。

再度チャレンジするような気分にもなれず、今度はICレコーダーを胸のポケットに入れて、エレベーターに乗る前から録音状態にして授業に臨むことにしました。

…しかし、後で聞いてみるとガサガサというノイズだけで、先生の声がヒプノボイスという囁くような口調なので全く聞き取れませんでした。

ついに、先生の目を見ているだけでぼんやりとするようになり、この研修への取り組み方を考え直さねばならなくなったのです。

 

「恐るべし、現代催眠…」

次第に、通常の意識的な学びよりも無意識的な学びが優先されている現象だと理解し、もはやこれを必然と捉えなおして全面的に潜在意識に委ねることにしました。

後で見返すとノートはほとんど取られておらず、わずかなメモもミミズの這ったような文字ばかりで読めませんでした。

そして、先生は相変わらず笑顔で言うのです。

「近藤さん。今日も熱心に学んでおられましたね」

参加者が知人と二人きりという贅沢な講習であり、何度かお酒に誘って頂いたりした際も、ごく普通の会話を通して、もしかすると何かしらの暗示を受けていたのではないか?とさえ勘ぐってしまいました。

先生が先にお帰りになって二人になった時、その知人がオーダーした物を受け取っているとき、何となく違和感がありました。

それが何なのかしばらく考えていると、何度目かでやっとわかりました。

店員の女性に、「ありがとう」と言っているんです。

彼は、いわゆる頑固で厳しいタイプの経営者で、これまで何人もの従業員を辞めさせていました。
本人もそれが自分の語気の強さ故だと自覚し、そんな性格をどうにかしたいという悩みを抱えていることは知っていました。
これまでの彼は、一緒に食事に行っても店員に対してほとんど関心を見せず、視線すら合わせずに品物を受け取っていました。

それが、笑顔でお礼を言っているのです。

驚きと共に、それが先生の働きかけの結果ではないかと気付きました。

名札に中国姓の苗字が書かれていたので、「留学生ですか?」と聞くと、某有名大学の学生さんでした。

「コレ、オイシデスヨ。オススメデスネ」

二人して感心し、立派だと伝えたと記憶していますが、彼女が私たちのテーブルの担当だったので、その後もにこやかに接客してもらいました。

「ねぇ、今の自分、何か変わってると思わない?」

彼も思わず、「あ…、ホントだ。やられてるわ…」

とても嬉しそうにそう言いました。

後日先生に聞くと、それは元々人に感謝をしたいという思いがあって、それが何らかの理由で表面化できていなかったのだろうと仰っていました。

 

確かに、人は自分の本質通りには生きられないものかも知れません。

しかし、そのことで自分の良さが封印されているとすれば実にもったいないことです。

私自身も、目的をもっての受講でしたが、後々それは見事に叶っていました。

 

先生は、自分はエリクソンの影響を大いに受けているが、純粋なエリクソニアンではないと言い、あくまでも「現代催眠」の臨床技術者だと仰っていました。

それからは、自分でも「現代催眠」という名称を使うようにしましたが、先生の意思を受け継ぐという意味もありました。

「エリクソン催眠を身に着け、対人援助に活かしたい」

この思いを抱いてご指導を受けてから、私の催眠療法は激変しました。

ある日、クライアントさんから妙なご指摘を受けました。

「先生は、なぜ私にミツバチの話をしたのですか?」

「え?ミツバチですか?」

自分では、そんな誘導文を語ったつもりはありませんでしたし意図した覚えもなく、そもそもミツバチに関する知識すらなかったのです。

しかし、クライアントさんは、その話がとても印象深かったと仰るのです。

 



 

催眠時に語る文章のことをスクリプトと言うのですが、エリクソンはその場で相手に最もふさわしいスクリプトを組み立てることができたと言われます。
もちろん、私にそのような才能は無く、事前に考えたものをいくつか記憶しておき、それを相手に合わせてアレンジして語りかけるというスタイルでした。

その中に、ミツバチは一切登場しません。

これは、やはり無意識的に行われた施術だったのではないかと考えました。

 

昔、何かの本で読んだことがあるのですが、エリクソンが大学生の頃、夜中に突然起き上ってタイプライターを打っている姿を同室の学生が度々見かけたと言います。

そして、翌日そのことを問いただすと、「何のこと?覚えてない」と言うばかり。

それが何日か続いた後、完成した論文が机に置かれていたそうです。

本人が一番驚いて、「これ、一体誰が書いたの?」と。

「ほら。やっぱり君が夜中に書き上げていたんだよ」

それ以降、エリクソンは自分の無意識を固く信頼するようになったというのです。

 

こういったエピソードには誇張されたものも多くあるので、信憑性についてはいささか疑問です。

しかし、思えば研修中の先生は、まず自らが催眠状態になってリードすることを重視しており、スイッチが入ると目がトロンとしていました。

度々アドバイスされたのが、

「近藤さん。まず、あなた自身が催眠に慣れてください。そしていつでも潜在意識との交流を自由に行えるようにすることです」

「すべての催眠は、”自己催眠”なんです」

 

そして、短期療法の研究にも余念が無く、実際の事例検討ではやはりシステム介入の解説をされていました。

しかし、どうしてもその華麗な誘導テクニックの方に注目が集まってしまったと思います。

実際、当時の自分は短期療法の初歩にも至っていませんでしたし、「催眠療法の先生」と認識していました。

数年後、その重要性に気付けたのは、先生から頂いた暗示という種の萌芽だったのかも知れません。

 

そんな先生も、数年前に天寿を全うされました。

 

今も思うことは、先生の誘導はまるで優雅な音楽の様だったということです。

リズム、トーン、声色、どれ一つとっても先生にしか紡ぎだすことのできない見事なアートでした。

だからこそ、その奏でられる美しい旋律に心地よく身を委ねることが出来たのです。

 

そして今でも時々、あの天真爛漫な笑顔と共に、バラの詩を思い出すのです。

 

 
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