コミュニケーションのコツ①

勇一君と陽一君 ~二人の人生を分けたもの

 

中一のクラスメイトだった二人の少年がいました。

好きな漫画や音楽が同じで、気が合ってすぐに仲良くなりました。
登下校も一緒で、放課後も良く遊ぶようになり、同じ習い事をして同じ塾に通い、そのまま三年を過ごして一緒の高校に進学しました。

どちらかというと、陽一君の方が勉強や先生からの評価は勝っていましたが、二人の友情の中では全く関係の無いことです。

 



 

人気者と疎まれ者

 

しかし、高二の頃からその関係に徐々に変化が表れ始めます。

勇一君は、クラスメイトの中でも中心的な人気者となり、特に部活動や何かで表彰された訳でもないのに他クラスや別学年からも知られた存在になっていました。しかも、不良っぽいグループや真面目な生徒とも分け隔てなく親しく接しており、そんな様子を先生からも一目置かれるようになっていました。そして、異性からもモテてクラスのマドンナ的な存在から告白されたりしていました。

一方陽一君は、教室の中では物静かで存在感は薄く、特定の数人としか交流していませんでした。

校内で時折顔を合わせれば、勇一君は変わらず声を掛けましたが、それに対して陽一君は近寄り難く、気まずそうな態度を取っていました。
二人の過去を知らない勇一君の取り巻きは、不思議そうに「今の、誰?」と言うのです。

あんなに仲の良かった二人は、もはや別世界に生きているかのような関係になっていました。

 

そのまま元に戻ることもなく高校生活を終えると、勇一君は家業を継ぎ、社長となってからは店舗を次々と広げていきます。
付き合っていたマドンナとは結婚し、若くして大きな一戸建てを建てて地元では知られた経営者となりました。

一方の陽一君は、大学に進学後二年の留年を経てアルバイトを転々とし、うだつの上がらないままどこか地方で働いているようです。

 



 

不可欠な、「ある」要素

 

さて、この両者を分けたものは何でしょう?

運でしょうか?

性格や能力の差なのか?

努力や環境によって?

 

良くある話かもしれませんが、これは多くの示唆を含んだ実例です。

陽一君は、何年たっても過去の親友のことを考えていました。

「なぜ、彼(勇一)は、あんなに上手くいっているんだろう…」

憧れはやがて、「どうすれば、あんな風になれるのだろうか」という探求に代わっていきました。

「イケメンでも無く、特別な何かを持っているわけでもなく、ごく自然に振舞っていたようにしか見えないのに、誰とでもすぐに打ち解けて仲良くなれるなんて…」

 



 

そして、何年もの歳月が過ぎて、ある決定的な違いに気付いたのです。

それは、「コミュニケーション能力(対人スキル)」の具体的な中身にありました。

 

勇一君には、人を笑わせる才能があり、何かにつけてウィットに富んだボケやツッコミを入れては、常に周囲を笑顔にしていたのです。

だから、彼の周りには自然と人が集まっていました。

元々笑い上戸で、絶妙な話の広げ方、例え話などの引き出しも多く、身振り手振りのゼスチャーなど、表現力もありました。

 

陽一君には、おとなしさや真面目さがありましたが、会話は退屈で全く面白みがありませんでした。

 

「俺には、ユーモアのセンスが無いんだ…」

 



 

「笑顔の絶えない家庭を作りたい」などと言いますが、そもそも何も無くて人が笑顔になれる訳がありません。

ユーモアは、日常に和やかな空気を生み出すエッセンスであり、相手を傷付けず、誰にも不快な思いをさせず、品性ある気遣いがあってのものです。

このスキルは非常に高く評価され、海外の一流のコメンテーターやスピーカー達は、必ずと言えるほど聴衆の笑いを誘って場を沸かせます。

 

賢いからこそ馬鹿を演じられる

 

人を笑わせるというのは、歴史的にも卓越した能力として認識されています。

中世の王侯貴族に雇われていた宮廷道化師は、王に意見したり批判が出来る権限が与えていたり、政治的な影響力さえ持つ者がいました。

どのような地位のものでも平等に笑わせる道化師たちは、エンターテイナーを超える存在だったのです。

シェイクスピアは、「賢いからこそ馬鹿を演じられる」という言葉を残しています。

 

それだけに難しくもあり、最初から諦めてしまったり、キャラクター的に無理だと思われる方もいるかも知れません。

しかし、「自分にはユーモアのセンスがある」という勘違いをしている人よりはましだと言えます。

自分は面白いと考えている人は、大抵面白くないものです。

 



 

コミュ症とユーモア

 

このユーモアという視点から観察してみると、様々なことが視えてきます。

不登校児も、ハラスメント被害者も、人間関係に悩む人も、転職を繰り返す人も、何らかの悩みを抱えがちな人は大概ユーモアのセンスが欠けています。

「コミュ症」というスラングもありますが、言葉や表現というものが対人交流の要であることは事実です。

一緒にいても退屈で、まったく面白くないと思われてしまうと何が起こるか想像してみてください。

少なくとも、親しくする意味が感じられないかも知れませんし、ネガティブな印象さえ与えてしまうでしょう。

会話の魅力を補填するような優しさや魅力的な容姿などを持ち合わせていなければ、自然と人は離れていきます。

そして、孤立は哺乳類にとって大きなリスクなのです。

 

ユーモアを磨くために

 



 

ユーモアのスキルを上げるために、2つの方法をお勧めします。

1つめは、自己防衛感やプライドを下げることです。

逆に言えば、「失敗や間違い、恥をかくこと」を受け入れることと言えるでしょう。

 

人間は、決して完璧でなく、愚かで矛盾した存在です。

そのあるがままを認められれば、過ちや失敗でさえ自然と許せるようになります。

時に迷惑をかけたとしても、素直に謝罪して、仕方なく恥をかけばいいのです。

こういうことを必死で避けたり、逃げたりしている姿はとても哀れで笑えません。

すべって場を凍り付かせても、「あれ?ここは南極ですか?」と、ボケれば収拾がつくこともあります(さらにすべるかもですが…)。

 

2つめが、意味付けを多角的に考えるという事です。

一方向からの先入観、思い込みで物事を見ていると、当たり前で常識的な思考でしかなくなります。

こういった視点で考えていると、「つまらない人物」だと感じさせてしまうのです。

全く別の着眼点や、真逆の意味付けをしてみると、意外性や面白さが出てきます。

 

芸人さんやコメディアンの視点は、まさにこういったものだと言えるでしょう。

松本人志さんの、「笑ってはいけない」とか「すべらない話」というのは、逆説的で緻密なネーミングです。

普通に、「大笑いするテレビ」とか、「とても面白い話」のようなひねりの無いものだと、いかにつまらなそうかを感じさせてしまうのです。

 

近藤とコンドー…

 



私の苗字は「近藤」ですが、近藤あるあるの中に「下ネタいじり」があります。

全国の近藤さんは、一度は経験されているかも知れませんが、中高生になって保健などで避妊具について知るようになると、「近藤!コンドーム持ってる~」とか、「近藤…迎えに行くね(コンドーム買いに行くね)」などといって茶化してくる子が現れるのです。

思春期ですから、他生徒や女子の前でこのような仕打ちを受けると、恥ずかしくてつい抵抗してしまうものです。

かくいう私も、『自分は、何という厄介な苗字に生まれたんだ…』という思いだけで、気の利いた返しなど出来ませんでした。

「何だよー。やめろよー」

「うるせーなー。このエロー」

しかし、こういった工夫の無い返しはつまらないので場はシラケますし、言った側もまるでいじめているようにさえ映ってしまいます。

この反省を踏まえて、後に講師として自己紹介するときに、「明るい家族計画と書いて、コンドー…と申します」とか、「ギンギラギンにさりげなく~、でお馴染みの…近藤と申します(元アイドルの近藤真彦さんの代表曲)。などと言って笑いを誘ったりしました(もしかしたら一部反感を買っていたかもしれませんが…)。

ちなみに、「明るい家族計画」というのは、昭和期からの有名なコンドームのキャッチコピーです。

講師業というのは内容の充実だけではダメで、場をいかに盛り上げるかでも評価され、その結果が低いと次回からの依頼は頂けません。

「心理の先生が、講師としてやってくる」などという時、きっと生真面目でつまらないものだろうとか、難しくて退屈な時間になるだろうとイメージする人もいるでしょう。

そこを、あえて名前をいじる自虐ネタとか同姓著名人ボケでギャップを狙う意義が生じます。

「先生、掴みから受けてましたね~」とか、「人を惹きつけるプロだと思いました」などと言って頂けて初めてスタートになります。

アンケートには、「こんなに面白く聞けるとは思わなかった」「楽しくて意外だった」という感想が並びました。

 

避妊具に似た名前が恥ずかしくても、いかにそれを避けようとしても、いじられる可能性はあります。
様々な状況で、個人個人の対応力が試されるのが実社会なのです。

何事も直面する現実ですから、事前準備が必要だと思います。

中高生の時に苗字をいじってくれた彼らは、一種のネタフリであって、『おい近藤!上手くボケて場を盛り上げてくれよ!』という友情のパスだったのかも知れません。

なぜあの時、「そうそう。我こそは性器の味方、コンドーマンです」と変身ポーズを決められなかったのか。

そうしていれば、大好きだった恵美子ちゃんだって振り向いてくれたかも知れません(あるいは引かれていたかもですが…)。

 

「おもろい」が評価される街

 



 

思えば、こういった認識は関西で暮らした影響が大きかったと思います。

特に大阪での「よしもと新喜劇」の浸透率は凄まじく、出会う人の多くがユーモアに満ちていました。

同時に、そんな返しが出来ないコンプレックスを感じました。

普通に会話していても、「オチは?関東人はおもんないな(面白くないな)」などと突っ込まれてしまいます。

確かに、関西人の会話はカルチャーショックを受けるものでした。

最初は、あちこちから聞こえる関西弁が新鮮で、会話のテンポやワードのチョイスに注目しましたが、確かに一人一人持ちネタがある事にも気付きました。

お笑いという文化が定着している地域だけに、面白さ=人気度であり、賢さであり、人望でもあるように感じました。

 

「近藤さん。こういう時は、〇〇やろ!って突っ込めばおいしいねん」

「せっかく振られとんのやから、ボケんと!」

 

『そ、そういうことか!』

色々といじられるのですが、それも悪気の無い日常的な絡みであって、かなり勉強になる日々でした。

芸人さながらにボケて突っ込んで笑いあう姿は豊かな交流に見え、大阪の方にはとても感化されました。

 

「近藤」は、世界共通…

 

かくして、海外のパブリックスピーカーや要人たちにも、ユーモアというスキルがあることに気付いたのです。

堅い空気や、ネガティブな雰囲気さえも一瞬で和ませてしまう「笑い」の力。

これは、言うまでもなく世界共通なのでしょう。

 

しかし、ある時、…その海外でまさかの近藤いじりを受けました。

 
What’s your name(君の名前は?)
My name is Kondo(私の名前はコンドーです)
what?(何?)
I’m Kondo(コンドーです)
Is it a condom?(コンドームかい?)

『しまったーーー!油断してた!ボ…ボケられない!』

……Often mistaken(……よく間違われるんですよね)

 

おもんなーーーい!

 

コンドー…だけに、…備えあれば患いなし。

 

 
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